
上方舞友の会 会員の喫茶室です。
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平成16年5月24日 掲載
おめでとうございます。
観世流小鼓宗家、
観世豊純師が、
春の叙勲で、
旭日双光章を
受章なさいました。
長年の地道な
芸道行脚へのごほうびです。
師は、昨年よりおめでた続き。
その一つが
双子のお孫さんの誕生。
ご子息新九郎家待望の赤ちゃん、
しかも一卵性双生児の男の子。
将来 能「翁」を
三代そろって
並んでつとめる姿が
目にうかびます。
新九郎師が、
りょうわきにひなをかかえて
舞台にあがられるかも・・・
二つ目は能囃子小鼓方の名門、
観世新九郎家を襲名。
それまでの宮増姓から、
ご自身は観世豊純、
ご子息が観世新九郎を名乗られました。
今年の一つ目、
三月うまれの師の古稀の賀。
そして二つ目がこのたびの
春の叙勲での受章。
長年一つの芸に
精進を深められた
師の人生が、
馥郁とかほりたち、
大きな花がひらきました。
今後ますます輝き、
豊かに実りますことを
お祈りもうしあげます。
けいいん
鈴木慎介さんへ
独立独歩の舞台監督として、
ジャンルを越えて誰にも慕われていた
鈴木慎介さんが、
四月七日午後十二時五十五分、
物言わぬ人となりました。
急なことでした。
これからますますの活躍が当然のことの、
五十五歳でした。
春風のように人には優しく、
冬の木枯らしのように自分には厳しかった
鈴木慎介さんの突然の早すぎる死をいたみ、
心よりご冥福をお祈り申しあげます。
慎介さんには、
平成十年の第九回吉村桂充舞の会(銕仙会能楽研修所)、
平成十四年の上方舞・デ・ナバーラ・フェスティバル
(スペイン国ナバーラ州パンプローナ市)を
担当していただきました。
舞台、客席、楽屋のすみずみまで張りめぐらされた
細やかな神経、
公演を魅力的な成功へと導く
強い責任感、
世界中をかけまわった豊かな経験から
いつしか身にしみこんだ、舞台人としての
融通無碍な鋭い勘、
そして何よりも、
仲間たちの心をほっとさせる
はにかんだような笑顔……
昨年の今頃は、
スペイン公演の打ち合わせのために
何度かお目にかかりました。
煙草の煙に目を細めながら、
てきぱきと確実に内容を決めていく姿は、
第一級の舞台監督として、
決して天狗にはならぬ控えめな自信に
満ちあふれていました。
一年後にはもうこの世の人でないなどと、
その時誰が想像したでしょうか。
慎介さんの描かれた舞台図面と、
何ページにも渡る用意周到な要望事項のおかげで、
文化の異なる現地での準備も滞りなく運び、
立派で美しい舞台ができあがり、
公演は大成功。

舞台基本デザイン/鈴木慎介 現地での舞台・照明監督/野地晃
パンプローナ市の空の下で、
海のようにはかり知れない感謝をこめて、
ありがとうございました。
どうぞやすらかにお休みください。
吉村桂充
鈴木慎介さんの遺稿 を掲載いたします。

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この財団が、良質の製品であることを証明する印、Gマ-クを承認しているのですが、
主催する産業デザインのコンテストにおける商品デザイン部門で、
氏がデザインをした建築金物が、日本グッドデザイン賞を受賞したというしらせです。
氏は、「安全で、小さくて、安くて、めだたない物をめざして、デザインしました。」とのことです。
特に「めだたない」ということに、心をくだいたそうです。
人はとかく自己表現の場において、目立つことを最上のこととして行動しがちです。
自己主張の強い、はでな表現ばかりがはばをきかせ、満ちあふれる中で、
ひっそりとめだたずに、しかしその働きはほかのどんなものよりずっとすぐれている。
そんな静かな存在にこそ、人は心のやすらぎと、長くかわらぬ愛情とを感じることでしょう。
平成14年10月8日 サロン亭主
京都教育大学教授・理学博士 松井榮一先生に、
『うた』の字について、聞いてみました。
「唄は、うねるようにうたううたのこと。
本来は声明のことなんです。
梵唄(ぼんばい)という声明があるように。」
(ここで先生は、辞書『漢語林』を開き、『唄』の字を指差す。)
「如来の功徳をたたえるため、偈頌(げじゅ)・経文に
節をつけてうたうもの。 仏への讃歌。」
「歌は、楽器などに合わせて普通にうたううた。」
「謌は、読むうたのこと。」
「謡は、楽器の伴奏なしでうたううた。」
うた うた うた
うたた うたたねが
したくなりました
うたかたの うきよ
うたてし
おやすみなさい
平成壬午歳菊月末の七日
花子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう考えると「鉄輪」の女も、浮舟も、清姫も
感受性の豊かな素晴らしい女性達だ
という風に感じられますね。
川の向こう(あの世)で悟り、人間界では舞えなかった美しい舞を
心安らかに舞っているのでしょうか。
そんな様子を三弦や箏の音色という橋で渡って見てみたいなとか、
音楽で安倍晴明みたいになりたい なんてことを考えたりします。
(ひっひっひっ)
あれ、狐はどうしたのでしょうか?
いました、いました、地歌「狐の嫁入り」の中に。
陰陽道で婚礼の日柄を選んで、白装束に身を包み、
日照り雨で出来た虹の橋を
たくさんの狐の行列と渡りながら、
愛する人の元に嫁いでゆくお嫁さんになっていました。
以上、私がこの夏、地歌の中で経験した出来事でした。
平成14年3月6日 掲載
「大阪の灯、また一つ消ゆ」
上方文化評論家 福井栄一
今年の「大阪フィル新春名曲コンサート」(一月十三日・フェスティバルホール)は、
昨年末の指揮者・朝比奈隆の急死をうけ、はからずも、
九十三歳までタクトを振り続けた巨匠の
追悼コンサートとなった。
故人への深い敬意と弔意に満ちた会場。
努めて明るく振る舞おうとする人々の笑顔とそれでも隠しきれない寂しげな表情に、
かえって喪失感の大きさがにじんでいた。
会場にいるすべての人が音楽を通して
朝比奈の魂と響きあった、
素敵な演奏会であったと思う。
朝比奈隆。享年九十三歳。
思えば、年末の喧噪を避けるような、
静かな最期だった。
彼の名を聞くたび、
歌舞伎俳優・七世坂東三津五郎の
言葉を想い出す。
「感じのよい踊」がすぐれた踊です。
およそまとまった芸には
面白さは少ないもので、
「いいな」という感じの前に「面白さ」があるのは、
まだ芸に至らないところがあるからだと思います。
(「舞踊藝話」演劇出版社)
踊りの神様といわれた三津五郎が目指した境地は、
「面白い」「うまい」踊りではなくて、
「いい」「感じのよい」踊りであった。
朝比奈も決して「うまい」指揮者ではなかった。
奇をてらった「面白い」指揮には関心がなかった。
代わりに、必ずやファンの期待を裏切らない
「いい」音楽を聴かせてくれた。
「感じのよい」音楽。
あくまで骨太で愚直であった。
ピンと背筋をのばした指揮台での後姿が、
作品へのまっすぐなアプローチを象徴していた。
音楽はまっすぐな朝比奈だったが、
音楽家としての生きざまは本人が誇らしげに語ったとおり、
「回り道」が多かった。
電鉄会社への就職、独学、戦禍、楽団の運営等々。
けっして物見遊山の寄り道ではない。
音楽への愛ゆえ、
時代の奔流に懸命に抗った結果としての迂回であった。
特に七十歳を過ぎたころから、急速に評価が高まった。
芸格が大きくなったと評された。
ハイカラ文化の代表のようにいわれるクラシック音楽だが、
こうした朝比奈の歩みは、
不思議に伝統芸能の名人たちの軌跡に似ている。
からだの衰えをただ嘆く者には、老残が待つ。
肉体的頂点を過ぎてなお精進を怠らない者にだけ、
芸術的頂点がやって来る。
名人とは、この残酷なズレをしのいだ
猛者にのみ与えられる称号である。
朝比奈にとっては、このタイムラグすら誇るべき「回り道」だったろう。
音楽への愛に衝き動かされてタクトを無心に振り続ける者にとって、
数十年など一瞬に思えたはずだ。
指揮と人生両方の恩師エマヌエル・メッテルは、若き日の朝比奈に
「一日でも長く生き、一回でも多く舞台に立て」 と諭したという。
この教えは、老いらくになお成長を続けた朝比奈の座右の銘であった。
多くの人が朝比奈の逝去を「父性の喪失」と表現するが
あまり感心しない。
朝比奈が女性だったら、彼らは「偉大な日本の母の死」と言い換えただろう。
いまや父か母かは、どうでもよい。
われわれが喪ったのは、
一生涯をかけてミューズの女神を追い続けた
稀代の求道者であった。
彼は、右顧左眄なく誠実に歩みを進め、
晩年ついには七世三津五郎のいう芸境にまで到り着いた。
「いい」音楽の体現者、
「いい」指揮者の大往生。
改めて、黙して瞑すべし。
(完)
平成13年10月28日 掲載
菊原初子先生のこと
去る平成13年9月12日、地歌・箏曲の人間国宝、菊原初子先生が102歳でご逝去されました。
菊原先生は野川流三味線と生田流箏の組歌数十曲全曲を伝承されていらっしゃいました。
これらは、三味線や箏の最初の芸術曲です。
箏曲の源流は筑紫箏といい、もともとは寺院でおこなわれていた、雅楽の箏を
教習するために作られた曲のことで、それをもとに八橋検校の一連の曲を初めとして
箏組歌が生まれました。
一方三味線は、琉球(沖縄)の三線(さんしん)と呼ばれる蛇皮線を、
平家琵琶を専業としていた盲人音楽家が、蛇の代わりに犬や猫の皮、
また琵琶を弾いていたのと同じような撥を用いて弾けるような楽器として、創作したものです。
そして創作と同時に作曲されたのが三味線組歌という一連の曲です。
このように箏は、雅楽(神道)と寺院(仏教)の影響下で育った楽器であり、
三味線は沖縄のみならず、広くアジアの文化と深く関わっている楽器です。(琵琶はペルシャから来ている)。
さらに「組歌(くみうた)」の名のごとく、短い歌を組み合わせて歌うというその作詞方法も、
中世からの連歌の流れがくみ取れます。
このような貴重な曲の数々を現代に連綿と伝えられた菊原先生にただただ感謝いたします。
私の修士論文が「箏組歌の研究」だったため、学生時代に先生の元に通わせていただきました。
江戸時代という閉ざされた時代以前の、おおらかで素朴なしかも緻密な文化の雰囲気を、
生きている音の中から触れられたことは、私の一生の中で何ものにも代えられない、
大きな大きな宝物になりました。
吉澤昌江
平成13年10月24日 掲載
かさみ康子作・舞
「Interior (室内) その1」 を見て
やわらかなリラックスが奏でる 張りつめた緊張感
潔い無の中の あり地獄の如き多弁
なにげない日常のような すきのないフォルム
矛盾の拮抗の中に生まれる 深い存在
彼女の表現は 唯一 彼女の物
(けいいん)
紅谷広経さん 10月15日 急逝されました。
広報担当で友の会の写真撮影でお力を貸してくれました。
トップページの「文月」「からくり的」の舞姿は
紅谷さん撮影のものです。
ご冥福をお祈りいたします。
遠藤啄郎さん 横浜市文化賞受賞
おめでとうございます。
NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ代表 丸谷博男さんのご意見です。
「平和であればこそ、経済も芸術も共に活性がある」
春より準備を進めてきましたインド旅行を中止いたします。
これまでの関係者のご支援、ご協力に対して心よりお礼を申し上げます。
また、お申し込みいただいた方々にお礼とお詫びを申し上げます。
いま、平和が如何に大切であるか、痛切に感じております。平和である時には、
平和を自覚できなかった自分をもどかしくも思います。
アメリカの犠牲は大変ショッキングであり多大なものがありました。
しかし、その見返りが報復という行為であったとしたら、大変残念なことであり、
犠牲者の本意ではない行為と思います。
犠牲者こそ、二度とこのようなことがないよう願っているのではないでしょうか。
血が血を呼ぶ行為こそ歴史が重ねて否定してきたことではないのでしょうか。
テロは厳しく罰せられるべきです。
しかしそれは戦争行為ではないはずです。
大統領が「これは戦争である」といわれました。
言ってはならないことです。
「これは戦争ではない。犯罪である。国民は冷静に受けとめてほしい。
この怒りは世界平和の創造へ向けよう。
そのためにこの怒りを持続させよう。これは長い長い闘いである。」
と本当は言って欲しかった。
我が国の首相は、もっと最低でした。「国旗が見えるようにしたい。」・・・
今大切なことは、武力闘争ではないはずです。
そして今、アメリカでもインターネットによる「武力行使反対」の
署名運動が始まっています。私も今朝、署名しました。
大切なのは、考えることです。それが人間を人間らしくする愛への始まりと思います。
すべての出発点は、平和です。
PS. インド旅行に代わり、国内旅行をこれから企画いたします。
アートセンターらしい旅となることでしょう。乞うご期待。
2001.9.20 丸谷博男 hiroo maruya
(株)エーアンドエーセントラル/NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ代表
東京都世田谷区代田3-48-5 tel03-5450-0180 fax03-5450-0315
URL http://www.a-and-a.net e-mail h.maruya@a-and-a.net
平成13年9月30日(日) 第3回 【魂の舞】
一番町特別養護老人ホーム
40名ほどのお年寄たちが 舞と 三味線 胡弓の音色を
楽しんでくださいました。
あっ 丸髷

じっと見つめる 二つの瞳
娘じゃないよ 奥さんだよ
たもとも短い
白髪の昔乙女に
はじける
黒髪のプリズム
(小雪)
ウェブサイト基金
当サイトは上方舞友の会会員のみなさまよりの寄付金によって制作され
立ち上げることが出来ました 厚く御礼申し上げます。
またその後の管理・運営の諸費用もみなさまから寄せられる
会費と寄付金によって賄われています
より一層充実した内容となりますよう 今後もウェブサイト基金に
ご協力下さいますならさいわいです
なお みなさまからの ご投稿もおまちしております(営業・営利のものはご遠慮下さい)
どうぞよろしくお願いいたします
平成13年菊月
上方舞友の会 ウェブサイト制作・運営委員会
ウェブサイト基金
一口 三千円
郵便振替 00160-5-130843
加入者名 上方舞友の会
通信欄に ウェブサイト基金とご記入下さい

平成13年9月5日(水) 第2回 【魂の舞】
特別養護老人ホーム「江東ホーム」

あんなに大勢のババ様ジジ様を
一度に見たのは初めてで
本当によい経験になりました
(きぬかん)

