トップページ > 会員たより > 会員の活動|サロン|桂充つれづれ草



上方舞友の会 会員の喫茶室です。
ちょっと面白かったこと  楽しかったこと
さあ  おしゃべりしましょう。
日時 題名を添えて Email で送ってね。


平成16年5月24日 掲載


おめでとうございます。


観世流小鼓宗家、

観世豊純師が、

春の叙勲で、

旭日双光章を

受章なさいました。


長年の地道な

芸道行脚へのごほうびです。


師は、昨年よりおめでた続き。


その一つが

双子のお孫さんの誕生。


ご子息新九郎家待望の赤ちゃん、

しかも一卵性双生児の男の子。


将来 能「翁」を

三代そろって

並んでつとめる姿が

目にうかびます。


新九郎師が、

りょうわきにひなをかかえて

舞台にあがられるかも・・・


二つ目は能囃子小鼓方の名門、

観世新九郎家を襲名。

それまでの宮増姓から、

ご自身は観世豊純、

ご子息が観世新九郎を名乗られました。


今年の一つ目、

三月うまれの師の古稀の賀。


そして二つ目がこのたびの

春の叙勲での受章。



長年一つの芸に

精進を深められた

師の人生が、

馥郁とかほりたち、

大きな花がひらきました。



今後ますます輝き、

豊かに実りますことを

お祈りもうしあげます。

               けいいん



平成15年5月20日 掲載

お別れの言葉

鈴木慎介さんへ



独立独歩の舞台監督として、

ジャンルを越えて誰にも慕われていた

鈴木慎介さんが、

四月七日午後十二時五十五分、

物言わぬ人となりました。


急なことでした。


これからますますの活躍が当然のことの、

五十五歳でした。



春風のように人には優しく、

冬の木枯らしのように自分には厳しかった

鈴木慎介さんの突然の早すぎる死をいたみ、

心よりご冥福をお祈り申しあげます。



慎介さんには、

平成十年の第九回吉村桂充舞の会(銕仙会能楽研修所)、

平成十四年の上方舞・デ・ナバーラ・フェスティバル

(スペイン国ナバーラ州パンプローナ市)を

担当していただきました。



舞台、客席、楽屋のすみずみまで張りめぐらされた

細やかな神経、


公演を魅力的な成功へと導く

強い責任感、


世界中をかけまわった豊かな経験から

いつしか身にしみこんだ、舞台人としての

融通無碍な鋭い勘、


そして何よりも、

仲間たちの心をほっとさせる

はにかんだような笑顔……



昨年の今頃は、

スペイン公演の打ち合わせのために

何度かお目にかかりました。


煙草の煙に目を細めながら、

てきぱきと確実に内容を決めていく姿は、

第一級の舞台監督として、

決して天狗にはならぬ控えめな自信に

満ちあふれていました。


一年後にはもうこの世の人でないなどと、

その時誰が想像したでしょうか。


慎介さんの描かれた舞台図面と、

何ページにも渡る用意周到な要望事項のおかげで、

文化の異なる現地での準備も滞りなく運び、

立派で美しい舞台ができあがり、

公演は大成功。


舞台基本デザイン 鈴木慎介
舞台基本デザイン/鈴木慎介 現地での舞台・照明監督/野地晃


パンプローナ市の空の下で、

どれ程感謝したことか、


鈴木慎介さん、

海のようにはかり知れない感謝をこめて、

ありがとうございました。

どうぞやすらかにお休みください。

                      吉村桂充

鈴木慎介さんの遺稿 を掲載いたします。

舞台遺稿1 舞台遺稿2 舞台遺稿3 舞台遺稿4 舞台遺稿5
クリックすると拡大します。 ブラウザーの「戻る」ボタンでお戻り下さい。




平成15年4月30日 掲載

おめでとうございます
小倉一智さん


宇都宮市議会議員に当選


<プロフィール>

無所属

宇都宮市の文化発信センター

特定非営利活動法人「倉詩舎」創設者

裏千家茶道 茶人 小倉宗智





平成15年4月5日 掲載

泉鏡花作「日本橋」を読む (解説はこちら)


 能楽界の異端児的存在とも言われている観世榮夫師が主宰する

「ヒデオ・ゼミ」の公演「鏡花を読む」

聴く機会を得た。

春は名のみの三月七日のことだ。

演目は私がいったん読み始めて、その実読むことが叶わなかった「日本橋」である。

あんな難しい文章がどのように料理されるのか、興味は尽きない。



舞台には十個の椅子のみがあり、

それに座る読み手の十人が居る。



                          撮影 宮内勝

それぞれが役を担当し、小説の流れに沿って「せりふ」「地」の部分を読み綴っていく。

その内の一人が上方舞友の会の吉村桂充さんだ。

義太夫や謡を長年修行している新参者の彼女の役どころは

子供茶缶婆あの二役。


他の読み手も俳優舞台人で、鏡花の作品を読みこなすことで日本語を再検証し

それぞれの場でのせりふや言葉、いや日本語そのものの理解を深めようという、

いわば実験的な試みの参加者だ。



「日本橋」は大正期東京日本橋界隈にあった花街が舞台のこととて、

空間的にはとても狭い地域で繰り広げられる人間模様を描いた作品だ。

下町であることからしても人間関係の機微はより濃密になっている。

また、葛木とお孝お孝と清葉葛木と五十嵐

それぞれ対照的な人間として描かれているのもこの作品の特徴だ。

そのことを通して人の心にある二面性を表わしているのかな との

漠然とした読後感(?)であった。


また、読みだけとのこともあり、読み手の口を吐(つ)いて出てくることばをたよりに、

ひっしの思いでその情景を想像の世界に描いていく。

私ごときの貧しき想像力の持ち主にはやっかいな仕事となった。


能楽堂で能を観ているような錯覚も感じられた。

そちらならば地謡を子守唄にしらかわ夜船と決め込む手もあるのだが。



鏡花の文情緒的で、感性のおもうに任せて憑いて出てくる修飾のことば充ち

精緻でかつ劇的、云わんとすることを多く云い換えでもって

満天にばら撒かれた星のごとくにきらきらと輝いている。


さらには音律を尊び、黙読では充足されない音楽的要素満ちている。

それを読みだけで追っている読み手には相当な力量と訓練が要求されることだろう、と

読み手労苦を想像した。



そして、その読み方は 日本式の読みが不可欠 であると直感した。

つまり、謡を詠うように、腹の底からのエネルギーを一旦下腹でため、

それから発声するという方法だ。 そうすれば、

書き手と読み手のバランス聴き手の中で良い具合 になろうという寸法なのだ。



読み手をせかすような、前がかりの鏡花の文をこなすには、

うっかりあのリズムに乗せられてしまってはならない

それでは彼の仕掛けた罠にはまってしまい、上滑りの表面的な表現になり、

書き手ひとりがほくそえむという結末になるであろう。


書き手、読み手そして聴き手の三者が満足できる風景

鏡花の目指したものなのではないだろうか。


鏡花は小説が読まれるだけのものとして書き綴ったとは考えられない。

やはり語りや演劇を念頭に置いて書いたのであろう。


「小説の台詞がそのまま戯曲の台詞として転用され、            
小説で地の文になっている箇所がそのままト書きとして生かされている」
 とは

佐伯順子の 「泉鏡花」 −ちくま書房― からの引用であるが、

まったくなっとくである。



ドラマチックな火事のシーンでの幕となった「日本橋」ではあるが、

「桂充さんの語りが一番聴き取り易かった」 とは

老人の域に達している わが長兄の 読後感(?)であった。

                                                   03/3/24 國弘正彦




平成15年2月7日 掲載

「詠み芝居 雑感」


“詠み芝居“なるものを紀伊国屋ホールで鑑賞した。



芝居のせりふ合間語りト書きを伝えている。

芝居の展開を舞台上と観客とを同時進行的に運んで行くやに見える。

芝居展開ベルトコンベアーに乗せられているようだ。



観客の想像や妄想の手助けとして、

回転の鈍い頭の持ち主にはなんとも有難いものだ。

90年代からいくつかの劇団が取り入れている手法とのことだ。



演目は泉鏡花「夜行巡査」「高野聖」だ。


鏡花の文は硬質ながたらしく、江戸弁意識したリズム感

何ともいえない


江戸出で金沢に住まい、小鼓んだ母親影響なのだろうか、

懸命に江戸のリズムを紡いでいる、と読める。




「夜行巡査」はまさに東京中心舞台のこととて、

市井人びとしゃべりが江戸弁でもあり、

鏡花が腕によりをかけて、筆を振るったのであろうと勝手に想像した。




「高野聖」ではあのおどろおどろしい場面で、

秦琴せりふ語りとのじられた。




はじめて聴く音色で、

絹の三弦が京都・祇園の柳川三味線をほうふつとさせる。

の弦とのこととて、ふんわりとした柔らかさが、

場面とのへんなミスマッチを起こしドラマを盛り上げていた。


薩摩琵琶か筑前琵琶がはまる楽器なのだろうが、

それではあまりに扇情的になりすぎるであろう。



聞けば秦琴はNHKのドラマのテーマ曲で使われたり

坂東玉三郎の「海神別荘」に使われているとのことだ。





友人は学生時代から鏡花ファンで、いまでもその全集を紐解くという。

“やはり黙読ではなく、声をだして読まなくては!

ましてや語りに詠んでもらうなんてェ

われてしまった。




鏡花は現代に住まう我らにはとても読みづらい文章だ。

「日本橋」を読み始めていたが、

そのリズムのれないままに、本を置いてしまった。



日本語の乱れが言われて久しいが

平安の歌の原文や徳川期の筆文字が

読めないのは仕方ないとして、

明治よりこちらの文章にあんなに抵抗感を持ってしまった自分が情けない

日本語を正しく使っている、とのはかない自負も何処へやらである。

なにしろ“日本語”詠めないのだから。


努力自戒自重あるのみ。

                                      國弘正彦





平成14年11月22日 掲載

『上方学』の発売日は2003年1月8日(水)!

2003年1月8日(水)に全国の書店で、

拙著『上方学〜知ってはりますか、上方の歴史とパワー』

(PHP文庫・予価600円)が発売される旨、決定しました。

「上方学」という看板を掲げた本邦初の著作です。


ご注目あれ!


お近くの書店の窓口でご予約頂ければと存じます。


上方文化評論家 (社)生活文化研究所 理事
上方研究の会 副代表
福井栄一 識
http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99/




平成14年10月10日 掲載

おめでとう 原兆英さん
日本グッドデザイン賞受賞



先日の9月30日、空間デザイナ-の原兆英さんに、

(財)日本産業デザイン振興会から朗報が舞いこみました。

この財団が、良質の製品であることを証明する印、Gマ-クを承認しているのですが、

主催する産業デザインのコンテストにおける商品デザイン部門で、

氏がデザインをした建築金物が、日本グッドデザイン賞を受賞したというしらせです。

氏は、「安全で、小さくて、安くて、めだたない物をめざして、デザインしました。」とのことです。

特に「めだたない」ということに、心をくだいたそうです。


人はとかく自己表現の場において、目立つことを最上のこととして行動しがちです。

自己主張の強い、はでな表現ばかりがはばをきかせ、満ちあふれる中で、

ひっそりとめだたずに、しかしその働きはほかのどんなものよりずっとすぐれている。

そんな静かな存在にこそ、人は心のやすらぎと、長くかわらぬ愛情とを感じることでしょう。

                               
平成14年10月8日 サロン亭主





平成14年10月9日 掲載

おめでとう 丸谷博男さん
東京芸術大学美術学部建築科
非常勤講師就任



建築家 丸谷博男さんは、この4月から、非常勤講師として、

母校の東京芸術大学へ通っています。

氏は、母校で教鞭を取ることができてとても嬉しいと、

目を輝かせています。

                               
平成14年10月2日 サロン亭主




平成14年10月 7日 掲載

……UTA・うた・ウタ……

唄・歌・唱・詩・謡・詠・謳・謌


地唄? 地歌? じうたのうたはどちら?


同じ曲でも、舞の会には「地唄」、三曲演奏会では「地歌」

プログラムには掲載されることが多いです。


地唄・筝曲演奏家 吉澤昌江さんにたずねてみました。

「地歌と地唄の区別はありません。

ただ現在 我々地歌・箏曲界の人間は決して地唄を使うことはありません。

しかしながら他の世界の方はほとんど地唄を使います。

どういうことでそうなったか、昔は地唄が定着していたのだと思いますが、

地唄の中には長歌・端歌というジャンルがあり、

これは長唄・端唄とは全く別物です。

その辺をどなたかが整理されて地歌としたのかもしれません。


地唄舞(地歌舞)も、どなたかが地唄(盲人が作曲した曲)以外に

上方唄(流行歌で盲人が作曲したものでない曲)を伴奏に舞うし、

上方で育ったから上方舞にしようと提唱なさったとかで、

現在は同じ吉村流でも地唄舞とおっしゃる方や、上方舞とおっしゃる方

両方がおられて混同してしまいます。


つまりどちらでもよいのですが、

我々の音楽の世界では現在地歌と言っていることは間違いありません。


なにやらややこしい説明になってしまいましたが、

私が現在把握しておりますのはここまでです。」




京都教育大学教授・理学博士 松井榮一先生に、
『うた』の字について、聞いてみました。

「唄は、うねるようにうたううたのこと。

本来は声明のことなんです。

梵唄(ぼんばい)という声明があるように。」


(ここで先生は、辞書『漢語林』を開き、
『唄』の字を指差す。)

「如来の功徳をたたえるため、偈頌(げじゅ)・経文に

節をつけてうたうもの。 仏への讃歌。」

は、楽器などに合わせて普通にうたううた。」

は、読むうたのこと。」

は、楽器の伴奏なしでうたううた。」



うた うた うた

うたた うたたねが

したくなりました

うたかたの うきよ

うたてし

おやすみなさい


平成壬午歳菊月末の七日
                             花子





平成14年9月27日 掲載

「瞽女とおわら風の盆」 吉澤昌江


私は毎年夏に、故郷の富山に帰ると

八尾まで車を飛ばして一人で風の盆の前夜祭に行きます。

今年も行きましたが、年々見物の人数が多くなり、

余りよく見られないのが残念です。



9月に入ってからの本番を見たのは20年ぐらい前のことです。

その時は八尾の民家の中で、

5人くらいの友人達と酒盛りをしながら、

表の路地を流してゆく踊りを見て談笑しました。



明け方、さ−っと陽が差し込むと同時に

蝉が突然鳴き出し、連鎖して蝉の声で空間が埋め尽くされると

そこで今夜のおわらは終わりです。



私は地元に胡弓があるのはいささか不思議に思っていましたが、

地元の本屋で見つけた

「瞽女の記憶」宮成照子編、桂書房を読んで、


富山にも瞽女さんがいらっしゃって、

佐藤千代さんという富山で最後の瞽女さんが

おわらに胡弓を取り入れるきっかけ

を作られたのだと言うことを知りました。



ところで風の盆に毎年行くのは、

何か憑かれるものがあるわけで、

なぜだろうといつも思っていました。



石川さゆりの「風の盆恋歌」

「若い日の美しい私を抱いてほしかった」

という一節がありますが、対象が異性ということに限らず、

誰しも何かにしがみつきたい衝動根底にあるのだと思います。


何かとてつもなく美しいものへの憧れ、それが若い頃の自分への回帰と合わさって、

それらが何かにしがみつきたい欲求を生み出すのではないでしょうか。



風の盆に行くと決まってそのような気持ちになるのは不思議です。

そんな不思議な気持ちに哀愁漂う胡弓の音色がまとわりついてきます。



「唄われよ、わしゃ囃す」

(あなた唄いなさいよ、私が聞いてあげるから)


という最初の歌詞からも、

胸の中にある、自分でも気づかない欲求を

吐き出してもよいところを与えてもらっている安心感があります。


とてもこの世のものとは思えません。




おわらは前述の著書によると、

立山町の松倉村の寺で千代も習ったとされる

念仏踊りが起源ではないかということです。



その踊りは稲束で顔を隠し

同じ場所でくるりくるりと舞う踊りで

「お藁踊り」とも呼ばれたものだそうです。



やはり仏教に関係があるのですね、盆送りですから。

この年でやっと故郷への回帰心からか、

自分の生まれた土地のことをたくさん知りたくなってきました。





平成14年9月15日 掲載

「私の夏休み」 吉澤昌江

暑い夏だった。すべてはから始まった。

地歌「狐会(こんくわい)を弾いていて、

箏の合わせ爪で リャン リャーン リャーン リャーン と弾いた後に、

三弦が チーン チーン トンテンチン と後を追う節がある。

その後の歌詞は「君恋し 寝ても覚めてもサ 忘られぬ 我が思ひ我が思ひ」で、

その節の時に決まって狐が鳴くのである


この狐はいったい何ものだ。

陰陽師安倍晴明の母親とされる信田妻の狐とどういう関係があるのか。


安倍晴明は地歌「鉄輪(かなわ)でも登場してきた。

友人である男の、嫉妬に狂った元妻の呪いを解く役目である。


謡曲の鉄輪は「平家物語」屋代本剣巻に拠っていて、

その屋代本に拠れば、女が貴船大明神に

「我を生きながら鬼神に成してたび給へ」と祈ると

明神、「実に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて 三七日漬かれ」と至言する。

貴船の神は水の神である。


宇治の橋姫と言えば源氏物語の浮舟を思い出す。

箏曲にも「新浮舟」があり、

恋に身を焼き宇治川に身を投げる様が美しく歌われている。

鬼のイメージとほど遠かったのだが、

宇治川はこの世とあの世を隔てる川で、

宇治橋はそれをつなぐ架け橋なのだ。


恋に取り憑かれた女というので、

夏に和歌山県の道成寺に行って,

ご住職の絵とき説法を見聞した。

清姫は蛇になり日高川を渡って、安珍を追いかける。

安珍は橋を渡って道成寺に救いを求める。

道成寺縁起絵巻上下二巻の複製を購入し 家でゆっくり眺めていたが、

安珍清姫が亡くなった後、二人して道成寺の僧の夢の中に現れ、

邪道の苦を逃れ 天上界で結縁している有様が美しかった。


10月6日まで東京国立博物館で開かれている

シルクロード展の出品の中で

を見て びっくりした。

その絵は 上半身は2人の男女で、胴体が一つになっており、

下半身は 絡み合う2匹の蛇の尻尾であった。

道成寺縁起の最後のシーンがオーバーラップしてしまった。

は中国古代神話に現れる

天地を創造した男女の神 であるということだ。

ということは 今昔物語や日本の神話などもシルクロードあたりから

連綿と伝えられてきているものではないのか。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そう考えると「鉄輪」の女も、浮舟も、清姫も

感受性の豊かな素晴らしい女性達だ

という風に感じられますね。

川の向こう(あの世)で悟り、人間界では舞えなかった美しい舞を

心安らかに舞っているのでしょうか。

そんな様子を三弦や箏の音色という橋で渡って見てみたいなとか、

音楽で安倍晴明みたいになりたい なんてことを考えたりします。

     (ひっひっひっ)


あれ、狐はどうしたのでしょうか?


いました、いました、地歌「狐の嫁入り」の中に。

陰陽道で婚礼の日柄を選んで、白装束に身を包み、

日照り雨で出来た虹の橋を

たくさんの狐の行列と渡りながら、

愛する人の元に嫁いでゆくお嫁さんなっていました。


以上、私がこの夏、地歌の中で経験した出来事でした。





平成14年9月11日 掲載

慈愛あふれる地母神の如き 語りの夜叉 白石加代子さんの
とびきり甘美な猛毒を あなたもほんの一口
ご賞味なさいませんか
上方文化評論家 福井栄一氏が ご案内いたします  サロン 亭主

「毒を喰らわば五十四帖」 
                      上方文化評論家 福井栄一

白石加代子はしばしば「現代の巫女(みこ)」と評されるが、正しくない。

彼女はミューズの女神の依代(よりしろ)や神威の受信器ではない。

いわば巨大な発電機なのだ。

舞台に充ちる異様なエネルギーのすべては、彼女自身から発している。

ところが、本公演(七月九日・近鉄小劇場)の彼女は

こうした先入観をも裏切った

彼女の静謐(せいひつ)といったらどうだろう。

「狂女女優」を彷彿とさせる絶叫や狂態は鳴りをひそめている。


それもそのはず。彼女の掌中にあるのは、

とびきり甘美な猛毒 「源氏物語」(第一夜:六条御息所)なのだから。

完璧に制御された語りと抑制のきいた美しい所作は

毒から自身を守る一種の防護服なのだ。


瀬戸内寂聴尼による現代語の縛(いまし)めはついに解かれ、

うねうねと纏綿(てんめん)と綴られた王朝文学の

うるわしい毒が、客席に拡がる。

われわれの手足はしびれ、目と耳だけが異様に冴えてくる。



と、もう見えてきただろう、

生霊と化した六条御息所の姿が。

自分を弄(もてあそ)んだ放蕩者・光源氏にではなく、

恋仇の正妻・葵上に怨念が向く女の性(さが)が悲しい

すすり泣き、憤怒に憑かれるも、

やがて祓(はら)われ、逐われる身の因果。


けれども、この物語の本当の主人公は葵上なのではなかろうか。

その硬質の美貌は、恨まれ呪われるほどに却って輝きを増す

思えば、世阿弥は「葵」を能に仕立てるにあたり、

葵上を登場させず「出小袖」に仮託した。

紫式部とはまた別の天才の業(わざ)である。


白石はもちろん解毒剤などくれない。

それどころか第二夜、第三夜とシリーズが続く限り、

盟友である演出家・鴨下信一と共謀して、

「源氏物語」という蠱(こ)惑的な

ことばの毒をわれわれにふりまき続ける。


まあ、それもよし、

中毒の果てに華麗な平安絵巻を幻視するも一興か、

と思い始めた自分が怖い。

(完)

                            大阪日日新聞2002年7月22日(月)朝刊に掲載




平成14年6月10日 掲載

「上方文化の魅力と粋」 
                      上方文化評論家 福井栄一


上方文化、とりわけ舞踊、地歌の魅力に惹かれ、

「世界で唯一の上方文化評論家」として、

上方文化の啓蒙に奔走している。


舞の起源は古く、記紀の天岩屋戸神話に遡る。

優美で、静的貴族的であるのに対して

踊り快活で、動的庶民的である。


今日の舞踊に見られる足踏みは、リズムをとっているのではなく、

鎮魂や地鎮といった、

舞踊がかつて有していた呪術的な含意の痕跡なのである。


上方文化の粋である地歌舞(上方舞)は、

畳一畳の宇宙と評される様に、狭いが極めて濃密な空間に於いて、

舞扇一本で森羅万象を表現する

ために、立方(舞踊家)の所作は非常に内省的

豊かな表現力を蔵する。


また、上方舞の魅力は、地歌の玄妙な旋律と言霊にも多くを負うている。

ただ、地歌の詞章は繊細なやまと言葉で綴られているため、

現代人には直ぐには理解しづらい面が有るのも否定出来ず、

地歌の普及という面で今後の検討課題である。


加えて、上方舞は観る側に豊かな想像力

高い集中力と相応の素養を要求する芸能であるため、

受け身の鑑賞に慣れた観客は最初はとっつきにくいかも知れない。

観客とのインタ−フェイスの整備が肝要である。


上方文化の継承・発展のためには、「ことば」「からだ」の再評価

外部からの積極的な人材登用、他ジャンル(文学など)との交流が必要であろう。

(完)



平成14年3月6日 掲載

「大阪の灯、また一つ消ゆ
             
上方文化評論家 福井栄一


今年の「大阪フィル新春名曲コンサート」(一月十三日・フェスティバルホール)は、

昨年末の指揮者・朝比奈隆の急死をうけ、はからずも、

九十三歳までタクトを振り続けた巨匠の

追悼コンサートとなった。



故人への深い敬意と弔意に満ちた会場。

努めて明るく振る舞おうとする人々の笑顔とそれでも隠しきれない寂しげな表情に、

かえって喪失感の大きさがにじんでいた。

会場にいるすべての人が音楽を通して

朝比奈の魂と響きあった、

素敵な演奏会であったと思う。



朝比奈隆。享年九十三歳。

思えば、年末の喧噪を避けるような、

静かな最期だった。



彼の名を聞くたび、

歌舞伎俳優・七世坂東三津五郎

言葉を想い出す。



「感じのよい踊」がすぐれた踊です。

およそまとまった芸には

面白さは少ないもので、

「いいな」という感じの前に「面白さ」があるのは、

まだ芸に至らないところがあるからだと思います。


                       
(「舞踊藝話」演劇出版社)


踊りの神様といわれた三津五郎が目指した境地は、

「面白い」「うまい」踊りではなくて、

「いい」「感じのよい」踊りであった。



朝比奈も決して「うまい」指揮者ではなかった。

奇をてらった「面白い」指揮には関心がなかった。

代わりに、必ずやファンの期待を裏切らない

「いい」音楽を聴かせてくれた。



「感じのよい」音楽。

あくまで骨太で愚直であった。

ピンと背筋をのばした指揮台での後姿が、

作品へのまっすぐなアプローチを象徴していた。



音楽はまっすぐな朝比奈だったが、

音楽家としての生きざまは本人が誇らしげに語ったとおり、

「回り道」が多かった。



電鉄会社への就職、独学、戦禍、楽団の運営等々。

けっして物見遊山の寄り道ではない。

音楽への愛ゆえ、

時代の奔流に懸命に抗った結果としての迂回であった。



特に七十歳を過ぎたころから、急速に評価が高まった
芸格が大きくなったと評された



ハイカラ文化の代表のようにいわれるクラシック音楽だが、

こうした朝比奈の歩みは、

不思議に伝統芸能の名人たちの軌跡に似ている



からだの衰えをただ嘆く者には、老残が待つ

肉体的頂点を過ぎてなお精進を怠らない者にだけ
芸術的頂点がやって来る


名人とは、この残酷なズレをしのいだ
猛者にのみ与えられる称号
である。


朝比奈にとっては、このタイムラグすら誇るべき「回り道」だったろう。

音楽への愛に衝き動かされてタクトを無心に振り続ける者にとって、

数十年など一瞬に思えたはずだ。



指揮と人生両方の恩師エマヌエル・メッテルは、若き日の朝比奈に

 「一日でも長く生き、一回でも多く舞台に立て」 と諭したという。

この教えは、老いらくになお成長を続けた朝比奈の座右の銘であった。



多くの人が朝比奈の逝去を「父性の喪失」と表現するが
あまり感心しない。


朝比奈が女性だったら、彼らは「偉大な日本の母の死」と言い換えただろう。

いまや父か母かは、どうでもよい。

われわれが喪ったのは、

一生涯をかけてミューズの女神を追い続けた

稀代の求道者であった。


彼は、右顧左眄なく誠実に歩みを進め、

晩年ついには七世三津五郎のいう芸境にまで到り着いた。


「いい」音楽の体現者、

「いい」指揮者の大往生。

改めて、黙して瞑すべし


                             (完)




平成13年10月28日 掲載

菊原初子先生のこと


去る平成13年9月12日、地歌・箏曲の人間国宝、菊原初子先生が102歳でご逝去されました。


菊原先生は野川流三味線と生田流箏の組歌数十曲全曲を伝承されていらっしゃいました。

これらは、三味線や箏の最初の芸術曲です。


箏曲の源流は筑紫箏といい、もともとは寺院でおこなわれていた、雅楽の箏を

教習するために作られた曲のことで、それをもとに八橋検校の一連の曲を初めとして

箏組歌が生まれました。


一方三味線は、琉球(沖縄)の三線(さんしん)と呼ばれる蛇皮線を、

平家琵琶を専業としていた盲人音楽家が、蛇の代わりに犬や猫の皮、

また琵琶を弾いていたのと同じような撥を用いて弾けるような楽器として、創作したものです。

そして創作と同時に作曲されたのが三味線組歌という一連の曲です。


このように箏は、雅楽(神道)と寺院(仏教)の影響下で育った楽器であり、

三味線は沖縄のみならず、広くアジアの文化と深く関わっている楽器です。(琵琶はペルシャから来ている)。


さらに「組歌(くみうた)」の名のごとく、短い歌を組み合わせて歌うというその作詞方法も、

中世からの連歌の流れがくみ取れます。


このような貴重な曲の数々を現代に連綿と伝えられた菊原先生にただただ感謝いたします。


私の修士論文が「箏組歌の研究」だったため、学生時代に先生の元に通わせていただきました。

江戸時代という閉ざされた時代以前の、おおらかで素朴なしかも緻密な文化の雰囲気を、

生きている音の中から触れられたことは、私の一生の中で何ものにも代えられない、

大きな大きな宝物になりました。

                                                吉澤昌江


平成13年10月24日 掲載

かさみ康子作・舞

     
「Interior (室内) その1」 を見て



やわらかなリラックスが奏でる 張りつめた緊張感

潔い無の中の あり地獄の如き多弁

なにげない日常のような すきのないフォルム



矛盾の拮抗の中に生まれる 深い存在



彼女の表現は 唯一 彼女の物


                                              
(けいいん)


紅谷広経さん 10月15日 急逝されました。

広報担当で友の会の写真撮影でお力を貸してくれました。

トップページの「文月」「からくり的」の舞姿は

紅谷さん撮影のものです。

ご冥福をお祈りいたします。


遠藤啄郎さん 横浜市文化賞受賞

おめでとうございます。



NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ代表 丸谷博男さんのご意見です。

「平和であればこそ、経済も芸術も共に活性がある」

春より準備を進めてきましたインド旅行を中止いたします。

これまでの関係者のご支援、ご協力に対して心よりお礼を申し上げます。

また、お申し込みいただいた方々にお礼とお詫びを申し上げます。

いま、平和が如何に大切であるか、痛切に感じております。平和である時には、

平和を自覚できなかった自分をもどかしくも思います。

アメリカの犠牲は大変ショッキングであり多大なものがありました。

しかし、その見返りが報復という行為であったとしたら、大変残念なことであり、

犠牲者の本意ではない行為と思います。

犠牲者こそ、二度とこのようなことがないよう願っているのではないでしょうか。

血が血を呼ぶ行為こそ歴史が重ねて否定してきたことではないのでしょうか。

テロは厳しく罰せられるべきです。

しかしそれは戦争行為ではないはずです。

大統領が「これは戦争である」といわれました。

言ってはならないことです。

「これは戦争ではない。犯罪である。国民は冷静に受けとめてほしい。

この怒りは世界平和の創造へ向けよう。

そのためにこの怒りを持続させよう。これは長い長い闘いである。」

と本当は言って欲しかった。

我が国の首相は、もっと最低でした。「国旗が見えるようにしたい。」・・・

今大切なことは、武力闘争ではないはずです。

そして今、アメリカでもインターネットによる「武力行使反対」の

署名運動が始まっています。私も今朝、署名しました。

大切なのは、考えることです。それが人間を人間らしくする愛への始まりと思います。

すべての出発点は、平和です。

PS. インド旅行に代わり、国内旅行をこれから企画いたします。

アートセンターらしい旅となることでしょう。乞うご期待。

2001.9.20  丸谷博男 hiroo maruya

(株)エーアンドエーセントラル/NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ代表
東京都世田谷区代田3-48-5 tel03-5450-0180 fax03-5450-0315
URL http://www.a-and-a.net e-mail h.maruya@a-and-a.net




平成13年9月30日(日) 第3回 【魂の舞】
一番町特別養護老人ホーム

40名ほどのお年寄たちが 舞と 三味線 胡弓の音色を
楽しんでくださいました。



あっ 丸髷




じっと見つめる 二つの瞳




娘じゃないよ 奥さんだよ

たもとも短い






白髪の昔乙女に
はじける







                                      (小雪)




ウェブサイト基金

当サイトは上方舞友の会会員のみなさまよりの寄付金によって制作され
立ち上げることが出来ました  厚く御礼申し上げます。
またその後の管理・運営の諸費用もみなさまから寄せられる
会費と寄付金によって賄われています
より一層充実した内容となりますよう 今後もウェブサイト基金に
ご協力下さいますならさいわいです
なお みなさまからの ご投稿もおまちしております(営業・営利のものはご遠慮下さい)
どうぞよろしくお願いいたします

平成13年菊月
上方舞友の会 ウェブサイト制作・運営委員会

ウェブサイト基金             
           一口  三千円
                   郵便振替 00160-5-130843
                 加入者名 上方舞友の会
                            通信欄に ウェブサイト基金とご記入下さい




実りの秋をどうぞ



               柿        松下順子

東京芸術大学絵画科日本画科卒業
日本美術院院友
春二の会会員
女子美術短期大学非常勤講師


心にふれた自然を描いている

桜と水は追い続けているテーマとなっている

舞の世界に接して間がないが

抑えられた表現や品格、風情あふれる情感に

絵と共通する面も多く

学ぶことが多いと感じている

作品は

東京芸術大学・そごう美術館・東京家政学院大学・
東京白百合学園・横浜共立学園・国立療養所東京病院

などにおさめられている



平成13年9月5日(水) 第2回 【魂の舞】
特別養護老人ホーム「江東ホーム」

あんなに大勢のババ様ジジ様を

一度に見たのは初めてで

本当によい経験になりました

                                 (きぬかん)



平成13年8月4日(土)

【現代舞踊家の京舞】 銕仙会能楽研修所

京舞井上流おさらい会が東京・南青山で催され

当会会員が出席しました。  その名は

嵩 康子 かさみやすこ

ニューヨークで鳴らした現代舞踊家


1998年3月 井上流入門

おさらい会出演は この日で四回目

初舞台は 門松  次は 柳々  その次は 伊勢音頭 と進んで

今年は 三社 を舞いました。





切戸口が開き  キリリと現われた嵩さん




ショートカットに 濃い紫の着物

すそには 白く 秋草 が描かれています。




口を一文字に  大小前へと足を運びます。



ウーン 一年前よりずいぶんとお姉さんになった

                      ( ちょっぴり  外輪が気になるけれど )


京三味線の音につれて さすが 現代舞踊家

小気味よい動きで シャープな線を描きます。




二枚扇の扱いも あざやかに


舞い納めには 拍手喝采が一段と大きく

鳴りわたりました   ヤンヤ   ヤンヤ





後で どなたかに  ふくみがない と言われたとか


でも それって 


4歳の子供に侘茶の味わい

を求める様なものなんじゃあ


それは ちと      やっぱり


ヤンヤ  ヤンヤ  ヤンヤ

                                             (ルナ)




平成13年8月3日(金)

【モリーン・フレミング 舞踏公演】 森下スタヂオ

「驚嘆のパフォーマンス…振付による変身の妙」 The New York Times

ニューヨーク市在住の モリーン・フレミング

今年3月来日し、日本の文化を研修しました。

舞踏を 大野一雄、慶人 両氏に学び

地唄舞を 吉村桂充 に学びました。





そして 新しい作品を産み出しました。





Decay of the Angel 〜天使の墜落〜


能の「羽衣」に想を得た作品です。

天女がチュチュをはいたエンジェル

天女の舞う序の舞は
舞踏的なバレエ



バレエを踊るエンジェル

足の向こうから
大きなが じっと
こちらを見つめる


「衣を返して!」




ラストは 両手を天へ伸ばして




飛び去って行きました。

                                           (花子)



トップページ > 会員たより > 会員の活動|サロン|桂充つれづれ草