芸能の持つ宗教性
宗教には 体を使った行が多い くり返しくり返し行をすることにより 宗教性がにじみでる
芸能者も 同じ宗教性を持つ
芥川賞作家・僧侶 玄侑宗久『中陰の花』 NHK教育テレビ「こころの時代」2002.7.7
内なる物のひろがり
前に読んだ「ロダンの言葉」と云う本の中にたしか「線というものはない、それは内なる物のひろがり」すなわちそれが表面に線を表す
流儀の故田中幾之助先生が「型はこうだよ」と云われ、楽屋で型を見せていらした時、体全部が線(先端)に見えたのです
手先、足先ではなく、肘、小指、踵、背中、内なるものが型を作るのではないか、それが線では・・・・・・
今も考えております
近藤乾之助
<第31回>近藤乾之助試演会 番組 〔後記〕
自然と人間との一体感
お能は頭で考えてするものではないんです。よく先輩に、「何もするんじゃない、何もしちゃいけない。」と言われたものです。日本人の考え方ですね。自然と人間が一体になったような感覚を大事にする。
俳句でも、頭を通す前に一瞬に浮かぶのがいいと言います。お能も頭をひねって上手(うま)くしようとすると、それが見えてしまう。ことに、宝生流では自分を出すということは許さないですね。人間の我を見せるのではなく、偶然と人とがつくる宇宙性を大事にするんでしょう。
シテ方宝生流・人間国宝 三川泉
広報『つるおか』No.21 2009.2.1 「こんにちは鶴岡36」
幸若系統の女舞
現今行はれる舞踊の中、江戸の藤間花柳若柳、名古屋の西川、大阪の山村楳茂都中村瀬山等の諸流の名が聞えてゐるが、其と同じく、京都には井上篠塚等の流派があり、祇園町等で行はれてゐる。就中井上流が最も盛んである。
此の京都の舞は、女舞の系統を引くもので、古く慶長前後に、宮中に女舞が出入りしてゐた事は、「御湯殿の上の日記」その他の記録にしばしば見える所であるが、此の女舞は即ち幸若の女舞で、その系統を引くものは、江戸時代を通じて幕末に至るまで、京都の町に存して、矢張り宮中に召され、女舞を供してゐたと云ふ。此の女舞の餘流は今も猶京都にあり、井上流は、此の女舞の手を取入れてゐると云ふ。(尤も、井上流の起源は、決してさまで古いものではなく、幕末に起った新しい流派である。)
斯うしたわけで、古い幸若系統の女舞が、今も猶異なる形に於て、手振を傳へてゐる事を興味深く思ふがまゝに、書き記しておくのである。
藤田徳太郎 有精堂『古代歌謡乃研究』P.44
ようこそ能の世界へ
構えと運び
能のすっとした直線的な立ち姿と すべるような歩き方
こういう身体の扱いは 腰のすわりや歩き方もふくめて とても大切な基本
よく日本の芸能では「腰を入れる」という 重心を下げる という意味合いになるが ただ下げただけでは腰が落ちてしまう 重心を下げる一方で ヒップアップするという関係が必要 アップするということは 腰を吊り上げてしまう バランスのいい構えとは 大地から引っ張られる力と 天に向かって引き上げられる力とが拮抗すること うまい方というのは 決して腰が落っこちていない
(余談) 京都の日本舞踊井上流は完全に腰を下げる あれは女でないとできない 男の場合はヒップアップしないとダメ ヒップアップすることで集中度が高くなる 力が一点に集約されるから なにかを訴えかけるというのに非常にいいポーズ
からだの扱いは 「アクセルを踏みながらブレーキを踏む」という状態 立った時に そういう関係をからだの内につくらないといけない それをやると 均衡がとれた能の立ち方になる
それは 世界宇宙のなかに立って 前後左右から無限に引っ張られているなかに 拮抗して立っている存在感 その緊張感があるからこそ 精一杯の力を発することができる ただ立っているだけではダメ
立つことのなかに アクセルを踏めば時速百キロはでるというスピード感を自分にかけておいて しかも ブレーキを踏んで止まっている状態 独楽がいっぱいに回っているときには まるで静止しているように見える状態と似ている だから緊張が弱くなると 回転がぶれて止まってしまう いっぱいに回転しているときのテンションの高さ 能役者の演じる上での緊張感というのはそういうもの
足の運び方について すり足という言葉がよく使われるが 私が習った先生方は あんまりすり足という言葉は使わなかった それには意味がある
すり足と言ってしまうと 空疎な形だけのものになってしまって どうしても無理がでてしまう なぜなら 日常的な歩くという行為を越えたところに運びがあるから
「運び」というのは ある物語とか 登場人物が背負っている状況とか 運命とか 思いとかを 役者の登場とともに舞台に運んでくる 役者が足を運ぶことによって 時空を超越した何かが運ばれてくる だからすり足より運びという方が より的確な表現

気持ちの持ち方
身体の扱い方という点と もう一方では気持ちの持ち方ということも非常に大切
どんなに悲しいものでもメソメソしてしまってはダメ 子どもに別れて探し求めているという芝居も 舞台での演技では 張りとかハレとかいうことを内に秘めていないとダメ
本来 誰しも悲劇的な状況というのはイヤ けれども それを演技としてやるんだという距離感が自分のなかにないと その悲劇はほんとうに生きない そういう感覚を身につけるために 私たちは大人になりかけの頃に 脇能といって神様を題材にしたもの 天下太平 国土安全を言祝ぐ曲 大地に根ざしていきいきと一生懸命に生きる 胸を張って 雨にも風にも雪にも負けない という能を演らされる
青年期には 心情的な芝居ではなくて まず能の演技のまっすぐな表現 からだの構えとか動きという基本的な物を 明るさや喜びをもってやり 張りをもって声を出す そういうプロセスがあって ある時 年齢的にも人間というものが分かってくると そこで始めて悲劇的なものを演る いきいきとして生きるというところをどっかに持っている そのカラッとしたものを裏にもっていないと 悲劇というものはなかなかできない
お客さまは 芝居を見ているあいだでも 役者の張りというものを感じながら芝居に溶け込んでいく 張りというのは 舞台にはとても必要

観世銕之丞 「ようこそ能の世界へ」観世銕之丞能語り 暮らしの手帖社
能の美
充実と安定
充実感と安定感は、 能の美のもっとも大きな要素だ。充実感は緊張感と深い関係にある。飾り気のない演技だから、気の抜けている役者は興ざめである。しかし、緊張が身体の一部に集中して、凝りとなっているのも見苦しい。いわんや部分的な充実を追うあまりに他の部分に隙があるというのは、論外である。気持ちだけ張りつめていて肉体が対応しないのも、その逆も困る。全身がふっくらとした優美さに包まれ、しかも気息充実して一分の隙もないというのが理想で、いわゆる幽玄美の極致はここにある。なにごともなく直立した時の身の構え方が、能を演ずる姿勢の基本となる。この時、一般にやや前に傾いた姿勢を取る。腰を折っての前屈ではない。背筋を伸ばして重心を前に掛けるのだから、そのままでは安定しない。そこで腰を焦点にしてうしろに引きつける力を加えて安定を取る。外見上静止しているように見えるその身体には、前へ掛かる力とうしろへ引き付ける力のプラス・マイナスの均衡があり、そこに充実した安定感が生まれる。もちろん、その均衡は各演者の自得の結果であり、普遍的な規範で律すべきものではない。一見うしろに反り身のような身構えの人でも、十分な安定感のある演者もいるのである。

舞と踊り
能は舞踊的といったが、舞と踊りとは基本的性格を区別するのが、日本の芸能史の常識である。簡単にいうと、舞は旋回運動、踊りは跳躍運動で、歌舞伎舞踊…とりもなおさず日本舞踊…はおどるというが、能では絶対におどるという言葉は使わない。終始、まうのである。

別冊太陽「能」winter'88
上方舞
「大鐵輪」について
着流しとして演技する場合は、嫉妬に燃える女の一念の気持ちが写実でなく美しく、いわば針を綿で包んだように内から滲みでる程度に、どこまでも女性心理を基礎にした、内包的な芸を見せれば、しぜんに曲の高雅な味が出ると考えるべきものです。

地唄舞
地唄舞といっても、組唄、唄もの、おどけもの、語りものなどいろいろあり、さらに唄ものの中に、長唄もの、端唄もの、芝居唄、音頭もの、謡いものなどあり、謡いものはまた豊後もの、半太夫ものなどの語りものに続く、これらはいわば唄ものと語りものとの、かけ橋になるものであります。

座敷舞
座敷舞は舞によって起居動作の基準を整えることが第一であり、舞台の場合は整えられた動きに劇的なものが加えられて、さらに大きな効果が示されるものでもあります。しかし、座敷舞で規律つけられた舞は、それを深く掘り下げることによって、内面的な深く大きな芸を完成することを理想としています。
その意味で舞台舞踊に見るような華やかさはなく、演技者を見ても歌舞伎俳優のように男性本位で支持されたものに対し、女性のたしなみに基盤を置いて養成されたものが多かったことは、過去の歴史の証明するところでありますが、その意味での両性の分野、限界は現在ではお互いの研究者がいり交じってきたので往事のようなきっぱりした区別はありません。
また、上方舞といっても三代目中村歌右衛門とその引き立てによる振付師であった小川流、瀬山流、さらに新しく山村流、篠塚流系統の舞踊と、純粋の座敷系の京舞を支持する井上流、吉村流、また両者の中間にある楳茂都流と比較して見ると、少しずつの差はありますが、その間に一貫した流れのあることは否むことはできません。

高谷伸 日本舞踊全集 第一巻 演目解説 地唄「鐵輪」 日本舞踊社
日本舞踊
舞踊の楽しさ
「娘道成寺」について
(「娘道成寺」の振りは)何ともいえない 滑るやうな 誘いこむやうな抒情味を可なり繊細にもっている
……手足と身体のこなしに一種洗練された春情的な趣味と感覚をもった日本人に特有なものである
あの春のような誘惑が 歌舞伎役者の肉体に伝襲せられている間は 日本もなつかしい国である(楠山正雄「歌舞伎評論」)
滑るような 誘いこむような 春のやうな誘惑 なつかしさ

舞踊の真髄
1 狂気 幻想的
毎日生活している 日常の現実とは全く違う世界 別世界
人間の魂に直接ふれるような 狂気の世界
2 心が自由になる世界
心がほっこりとあたたかく のびのびとします
3 その世界が 故郷のようななつかしさ(楠山正雄)を持つ
それは 踊りという人間の歴史の原点にふれているから
故郷とは その人が生まれた世界 その人の根源 そこにふれているから
なんとなくなつかしいという気持ちが湧く
以上の三点をもつのが舞踊の世界

心で見る世界
心で見る 目でみえるものは目で見ても 目に見えないものは目だけでは見えない 目が見るのはものの形 形の向こう側にあの世界がある
<見えないものを見るために>
1 自分の目を白紙にする…どんなものにも敏感に反応する柔軟な感性
先入観に囚われない ものをみるのは知識ではなく感性
2 集中力
白紙と集中力 この二つがあの世界を体験するための秘訣

舞と踊り
身体の在り方
舞……
身体が様式によってとらえられている

能の場合 能舞台という空間の抽象性の中に閉じこめられている
芸術にとっては その制約こそが起爆力 あの抽象性こそ舞の身体を支えるエネルギー
その抽象性はカマエという姿勢に抽象的にあらわれる 
カマエがきっちりしていれば どんなものにも変身できる
その変身を要求しているのは 能の抽象性
踊り…

舞を基本にしながら舞からの すなわち様式からの解放が 身体のありかたとなっている

動作の抽象化
恋いの手習い の一節の振りは 今日踊っている振りの三分の二くらいしか振りがありません
手数を少なく踊るということが非常に難しいので よほどの名手でないと踊れません 持ち切れないからです
永木三津五郎筆「道成寺秘伝」
単純な動きほど実は難しい

立つ 歩く
上体を動かさずに歩け 足を使わずに立て
上半身がゆれるのを嫌う ゆれないのは腰が入っているから
下半身が安定していると 上半身を使ってどんな役にもなれる
なににでも変化できる その基礎として上半身がゆれてはいけない
このことから 舞のかまえがいかに重要かがわかる
同時に舞のように抽象化されたもののなかにも 実は一方で日常的な動き(歩く、立つ)がその根底にあることがわかる 舞も いわば人間の自然な動作を抽象化したもの
しかしその単純な動きのなかに無限の味わいをみせるということは大変なこと
白扇で向こうを指す その指すという動きの無限のよさ 味わい
立っただけで舞台に花が散る 後ろを向いただけで舞台一面に雪が降る その立った姿のよさ 無限の味 というものは なかなか理解されがたい
無心になるために そこに舞い手の芸の心境 人生の全てが出る 個性がでる
それは 立つ 歩く 指すといった単純な動作を抽象化し どんどん深めていった結果
あらわれてくる個性 厳しい修行と様式の制約に無心で従ったそのはての深さ
歩くということが難しいのは そこに歩けば歩いただけの宇宙ができ そこに全宇宙が姿を宿すからにほかならない

NHK[日本の伝統芸能]1995年度 「日本舞踊」渡部保
能の美意識
室町時代から600年間かけて、磨かれてきた。
―(マイナス)志向の美意識。
余分な物は取り除いた美。そのことが見る者の空想をかきたてる。
最小限度で、最高のものを目差す。
最小限の情報しかない。そのため、観客が勝手に想像する。
支配階級の芸能として、洗練に洗練され、完成した。

歌舞伎は、+(プラス)志向。
どんどん派手にしていく。

(例 光をかざす) 能……
謡の力と演者の表現で、実際にそう見える

歌舞伎……

実際に光を当てる

完全分業性
演出家がいない。
幕はない。ベルもない。拍手もなし。
歌舞劇であり、見せ場は、美しい歌・美しい舞でできている。

『砧』
世阿弥晩年の作。
現代人が共感できる要素を持つ。
謡が美しい。
砧を打つ……布を打って柔らかくし、冬支度をする。

<宝生流>
エネルギーが内へこもっている。
内へ内へこめなさい
どこに意識を置くかということを重視する。
動きが小さい分、エネルギーが中にこもる。
観る人に、心の中をのぞきこんでいるような印象を与える。
心の内面を表している。

<観世と宝生>
観世……エネルギーが外へ向かってほとばしる。
宝生……ぐっと内へ内へためていって、想いを表現する。

<解説> 日本舞踊 舞と踊り 上方舞
日本舞踊
日本舞踊は、舞と踊りに区別され、その基本的性格が異なります。日本芸能の歴史をみると、その底流を脈々と流れてきたのは、舞でした。平安時代の舞楽、室町時代の能・狂言、そしてその能の流れを汲む上方舞。すべて、芸能の中心は舞でした。踊りの歴史は新しく、江戸時代になってからです。念仏踊りや阿国歌舞伎がもととなり、歌舞伎とともに発達しました。舞は静的で、内へ内へとためた表現をします。個人芸として、抽象的なたたずまいの中に、豊かな内面性を持つことを重視しています。踊りは動的で、外へ外へと押し出す表現をします。その身体のありかたは、舞の緊張感に満ちた様式から開放され、華やかな集団的熱狂性を特色とします。

舞と踊り
舞と踊りの最も重要な違いは、静止した立ち姿、一つの歩み、その中にこめられた宇宙の密度と大きさです。舞ではそれらの内に、時空を越えた全宇宙の姿を宿そうとします。
立ち姿には、柔らかな緊張感が漲ります。歩めばそこに、無限の味わいが生まれます。
舞は、踊りの様に見る人にすべてを提示しようとはしません。それはあたかも、鏡のように静かな水面に投じられた一つの石。そこから波紋がどこまでも広がって行く様に、観客の心に様々な感興が湧き起こることを目的として演じられます。

上方舞
上方舞は、能から大きな影響を受けて生まれました。能とは親子のような関係と言えますが、男性のみが築きあげた能とは異なり、女性が中心となって作り上げました。使われる音楽も、能では、地謡と囃子(打楽器と笛)ですが、上方舞では、地唄という三味線音楽が使われます。そのため、地唄舞ともいわれています。地唄は最も古い三味線音楽で、盲人の検校(最上位の盲人演奏家)が座敷で弾き語り(一人で三味線を弾きながら唄うこと)をするというのが本来の姿です。まったりとした、おおらかな間合いを持ち、味わい深い余韻の中で、嫋嫋とした風情を唄いあげます。音と音との間、その玄妙な静寂を舞うのが、上方舞です。

歌詞は、ふくよかな、やまとことば(日本固有のことば。和語。)で綴られています。和歌の伝統に彩られた美しい音律と、言霊の響きにのせて、陰影に富んだ情趣が、くり広げられます。

一部のすきもなく研ぎ澄まされたたたずまいの持つ緊張感と、無心の姿に宿る、時空を越えた充実感。低く腰を落とし、どっしりと安定した構え(立ち姿)から生じる、大木が深く地に根をはっているが如き存在感。畳や木、紙、土壁からなり、小さく仕切られた座敷という空間から醸し出される、ひそやかな風情に満ちた舞の、立ち居振舞いの規範ともなるべき、細やかな折り目正しさ。手足の指先、身のこなしに通う、春風の誘うが如き抒情性。これらをあわせ持つのが、日本人独有の、穏やかな四季の移ろいにたゆとう繊細な感性が生み出した、上方舞という舞です。

舞と踊の関係
舞踊の名人であった七代目坂東三津五郎は、よく能を見に行ったそうです。多くの人がそのことを証言していますが、嗣子(しし)八代目三津五郎の話しによれば(『芸十夜』駸々堂刊)、八代目もよくつれて行かれたということです。
七代目にとって、能を見ることが舞踊を踊るためのかけがえのない修業だったのです。三津五郎がそう思ったのは、舞踊の本義が能の舞にあるということを彼が良く知っていたことにほかなりません。
私は、最初このエピソードを、そうは考えませんでした。歌舞伎には能や狂言から取った作品が多いから、参考のために見に行くだろうと軽く思っていたのです。個人的な趣味。しかし、のちになってそうではないということに気がつくようになりました。むろん三十年以上も前に亡くなった三津五郎に真相を確かめようもありませんから、これは私の想像にすぎませんが 、三津五郎は踊りの究極の原点は舞にあることを知って、それを勉強に行ったのだろうと思います。ただ参考にするだけでしたら一度見ればすみます。度々能楽堂に通う必要はないでしょう。
舞踊という言葉は、明治になってできた新造語です。舞と踊というものを合体させて作った言葉です。舞は神楽や舞楽にはじまり能に於いて一つの完成をみます。その舞のいわばもどき、変形として踊ができました。あるいはこういってもいいかも知れません。舞を本歌としてできた本歌取りが踊なのです。したがって踊の原点が舞にあることは歴史的な事実です。
しかし三津五郎は、そんな歴史的事実をたしかめるために能楽堂へ通ったのではありますまい。舞の芸、舞の身体を学びにいったのでしょう。
実際、舞を知らない人の踊りはダメです。舞を舞っていながら舞の怖さを知らない人も山ほどいます。逆に舞を習っていない人でも、舞のこわさを十分良く知っている人もいます。舞のこわさといいましたが、それは人間の身体の集中度、緊張度のことです。ですから舞台へスーッ立っただけで、この人が舞というものをどこまで知っているかは、その身体を見ればすぐわかります。舞は身体を様式でしめつけていますが、そのしめつけのこわさを知っている人は自ずと身体がすみずみまで緊張して、糸を張ったようなものが身体に張りめぐらされています。踊は様式から解放されていますから、本来はそういう緊張がなくともいいはずですが、それでも踊が舞の「本歌取り」である以上は、その身体の奥底にそういうものがあるのとないのでは大きな違いです。
舞を知らない人は、本当の様式の束縛によっておこる緊張感を知りません。だから一見したところ身体が自由のように見えてちっとも自由でないし、基礎ができていないから当然身体がだらしなく弛緩(しかん)しています。
これは歴史的な教養の問題ではありません。
舞踊の身体の原点の問題であり、舞という原点から踊というものができてくる上での、身体のあり方の問題です。
その実情を知るためには能から歌舞伎へ、歌舞伎からさらにその舞踊へと移っていった作品を同時に比べて見るのが一番分かり易いでしょう。
そういうものはいくつもあります。
たとえば「道成寺物」「松風物」「山姥(やまんば)物」「隅田川物」「浅間物」「石橋(しゃっきょう)物」といった歌舞伎舞踊の大きな山脈のうち、「浅間物」以外は全て能から来ているのです。これだけ見ても能の世界が大きな原点になったことはうたがいないでしょう。今年のこの番組のねらいはその流れをたどることにあります。
さて、そのなかから私たちは『石橋』を選びました。この曲が原点になって、今日『京鹿子(きょうがのこ)娘道成寺』とならぶ大曲といわれ、上演頻度の極めて高い『春興(しゅんきょう)鏡獅子』が生まれました。能の『石橋』から『鏡獅子』まで、そのれきしはあとでふれることにいたしますが、そのなかで、最も大きな変化のポイントを二つだけあげておきたいと思います。
一つは、能の『石橋』の前半は、清涼山の石橋を物語る童子(あるいは老翁)がシテだったわけですが、これが歌舞伎へ入ると美しい女、しかも遊女になり、のちの獅子の狂いもその遊女が獅子になるという、性の転換がおこったということです。
もう一つは、能の『石橋』の前半は、石橋を語って、ほとんど舞の要素が少なかったのに対して、前半が踊として非常に重くなり、作品の構成の転換がおこったということです。
この二つの転換。性の転換と構成の転換が『石橋』と『鏡獅子』の大きな違いということになります。
性の転換は、歴史的には歌舞伎舞踊が女形によって踊られることがおおかった、つまり舞踊を主に女形が担当していたからだという説明がなされることが多いのですが、私はそれだけではないと思います。この男から女へという発想にこそ歌舞伎そのものの発想があり、そうすることによって生じる「色気」が能の「花」と同じく、歌舞伎のねらったものだったというところが大事なのです。
その結果、中国清涼山の石橋は、たちまち遊女屋の一室にかわり、文殊菩薩との面会は、愛する男との面会に変わりました。歌舞伎にとって浄土は、霊験あらたかなる空想の世界ではなく、性のエクスタシーだったのです。もっとも『鏡獅子』ではその女郎屋がさらに大奥になります。『鏡獅子』は明治に完成したもので、ここでの浄土とはすなわち政治的な空間を意味したからです。
もう一つの構成の転換も重要な意味をもっています。前半のドラマが舞踊に変化したという大転換にもかかわらず、その「本歌取り」として踊(前半分)ができたという、舞と踊の関係そのものを示しているからです。
こういうことを熟知していたからこそ、三津五郎は能楽堂へかよったのだろうと私は思うのです。
渡辺保
〔渡辺保プロフィール〕
一九三六年生まれ。一九五八年慶應義塾大学経済学部卒業。同年東宝株式会社入社。企画室長を経て、現淑徳大学教授。演劇評論家。
「芸能花舞台」のレギュラー解説者として五年間出演。
著書「女形の運命」「忠臣蔵・もう一つの歴史感覚」「歌舞伎・過剰なる記号の森」「日本の舞踊」「女形百姿」「能のドラマツルギ・友枝喜久夫仕舞百番日記」ほか
舞と踊り
踊り
舞と踊りの場 お座敷など(狭い空間) 劇場など(広い空間)
音楽        ゆったりとした間合い
変化が少ない
座敷音楽
地唄が中心
旋律が豊か
リズムの変化に富む
劇場音楽
長唄 常磐津 清元など
表現と振り 象徴的で内面性を重視 演劇的で様式美を求める
舞と踊りの性格 求心的
内へ内へとためる
遠心的
外へ外へと押し出す

舞は能の影響を多分に受けている
腰を落とし 重心を低く沈めて 安定した構えをする
動きは すり足が基本

垣田昭 NHKテレビ「芸能花舞台」にて
舞と踊り

「舞踊」ということば自体、坪内逍遙の「新楽劇論」(明治37年)で初めて使われたもので、それまで「舞」と「踊り」は、一応区別して認識されていました。「舞」は旋回運動を、「踊り」は跳躍運動をさすというのが、折口信夫以来の定説ですが、さらに付け加えれば、「舞」は静的、個人芸的で「語り物」と結び付いた芸能に向かいやすく、「踊り」は歌と結び付き、主客入り乱れた集団的熱狂性を特色とする、といえそうです。

(出典不詳)
「からだ」と「うた」 〜 上方舞の魅力

人間は自己のうちに混沌を蔵すべし。
然して、そこから舞い踊る星を産みだすべし。
(『ツァラトストラはかく語りき』ニーチェ著)

上方舞の真骨頂は、「からだ」(舞)と「うた」(声)の全(まった)き幸福な結合にある。

掘り出される「からだ」
まず、「からだ」について、考えてみよう。
上方舞について語られる際、この語はしばしば不用意に、「所作」と言い換えられる。
舞踊家の体躯が生み出す優美な曲線、しなやかな両腕の動き、手と一体化した舞扇の多彩な表情・・・。たしかに、上方舞と聞いて多くの人が想起するイメージである。
けれども、ここではそうした、動く「からだ」ではなく、動かずに舞う「からだ」、すなわち「からだ」自体の存在感に注目したい。
よく知られているように、上方舞の世界には、「動かずに舞うべし」という口伝がある。
明らかに論理矛盾であって、外国語への翻訳はまず不可能とおぼしきこのフレーズは、舞踊家に対して、これ見よがしの技巧や大仰な動作ではなく、「からだ」自体の雄弁さの発揮を要求している。
ここで想い出されるのが、『夢十夜』(ゆめじゅうや)(夏目漱石著)の第六話である。

(大意)

仏師・運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると評判を呼び、大勢の見物客が集まっている。めいめい勝手なことばかり言いあって、騒々しいことはなはだしいが、運慶は一顧だにせず、一心に鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。
見物していたある若い男が、
「あの鑿と槌の使い方を見給え。大自在の境地に達している」
というので、一緒に見ていた自分も感極まって、
「能(よ)くああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻が出来るものだな」
と唸ると、聞いた男はこう言った。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずがない」

この逸話になぞらえれば、上方舞とは、具体的な所作で何かを伝えるというよりも、舞台という広い空間から、唯美無上の「からだ」を掘り(彫り)出す営為だと言えよう。
仏像の場合、丈六か胎内仏か、大きさは関係ない。平安仏のごとく繊細な技法を凝らしているか、円空仏のように野趣に富むか、様式論も二の次である。要は、そこにあるだけで、観る者の魂を揺さぶるか。その一事で、造られた仏像の価値は決まる。
舞とて同じことだ。
舞踊家は、審美の鑿と槌で、何もないはずの舞台に蔵されている「からだ」を掘り出す。

「うた」と言霊
さて、つぎに「うた」である。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)の例を持ち出すまでもなく、日本の芸能は、つねに「うた」とともにあった。邦楽の中で、「うた」や声を伴わないジャンルを捜すのは、かなり難しい。
もちろん、上方舞も「うた」抜きには成立しない。そして、上方舞の「うた」の屋台骨をなすのは、地唄である。
地唄の世界は奥が深い。先行する諸文芸の所産を滋養としながらも、衒学趣味には陥っていない。闊達さがある。色恋の機微、男女の人情の襞にわけいったかと思うと、諧謔に遊ぶ。自在なのである。人間のこころの諸相を貪欲に取り込みながら成長・成熟を遂げ、上方美の宝庫として今日に伝えられている。
こうした地唄の命とも言うべき、「言霊」(ことだま)に注目してみよう。
発達の経緯からして、地唄の蔵する言霊の重層性・多様性は、尋常ではない。にもかかわらず、舞踊家の「からだ」に幻惑されるあまり、観客の多くが詞章を漫然と聞き流し、「うた」の魅力、言霊の発現に無関心なのは、憂慮すべき事態である。
これとは対照的に、かつての日本人が、言霊をいかに尊重していたか。十三世紀後半に成立した『八幡宮寺巡拝記』の逸話が雄弁に物語ってくれる。

(大意)

ある男とその友の入道は、ともに石清水八幡宮に月参りをしていたが、どういうわけか、入道だけが瑞兆の三つなりの橘を授かり、男には何の奇瑞も起こらなかった。
帰り道、男は入道に橘を譲ってくれと懇願するが、入道は一向に聞き入れない。それでもあきらめきれない男は、
「もうこうなったら、実際に譲ってくれなくても構わん。だが、せめてことばのうえでだけ、橘をお前にやる、と言ってくれ」
と入道に食い下がった。こう言われて入道が、
「ことばのうえだけのことなら、お安い御用だ。ほら、お前さんにこの橘をやるぞ」
と頼まれるままに口にした。男は直垂(ひたたれ)の袖をうやうやしく掲げ、橘を実際にその上に貰う受けたかのような格好をした。
さて、そののち、男の方は家運が栄えた。しかし、入道の方は、さしたる幸運に恵まれることもなかった。

「うた」の力、言霊の威力は、、三味線の音(ね)にのって、舞踊家にひしひしと迫ってくる。そのとき舞踊家の「からだ」は、これに気おされることなく、決然と、あるいは婉然と、「うた」に対峙できているだろうか。

俳聖と上方舞
冒頭に、上方舞は「からだ」と「うた」の全き結合、と書いた。その結合は有機的で、絶妙の均衡が成立している。
松尾芭蕉の名句、
白露も こぼさぬ萩の うねりかな
にかこつけて言えば、白露が「うた」、萩が「からだ」に相当する。
萩は白露を湛えて、いささかも間然とするところがない。上方舞もこの萩のようでありたい。

まもなく、『舞の会』の幕が開く。
舞踊家の佇(たたず)まい、「からだ」の在り様(よう)に見惚れるもよし。言霊の顕現、「うた」の変幻に酔いしれるもよし。これが眼福でなくば、何であろうか。

(完)

平成16年11月「舞の会」プログラムに掲載 上方文化評論家 福井栄一

<著書>
○『鬼・雷神・陰陽師〜古典芸能でよみとく闇の世界』
○『上方学〜知ってはりますか、上方の歴史とパワー』