あの籬が島の松蔭に 明月に舟を浮かめ 月宮殿乃白衣の袖も 三五夜中の新月の色 千重ふるや 雪を廻らす雲の袖 さすや桂の枝々に 光を花と散らすよそほひ 此処にも名に立つ白河の波の あら面白や曲水の盃 受けたり受けたり遊舞の袖 (合)
あら面白の遊楽や そも明月のその中に まだ初月の宵々に 影も姿も少きは 如何なる謂はれなるらん それは西岫に 入日の未だ近ければ その影に隱さるる 喩へば月のある夜は星の淡きが如くなり 青陽の春の始めには 霞む夕べの遠山 黛の色に三日月乃 影を舟にも喩えたり また水中の遊魚は 釣針と疑ふ 雲上の飛鳥は 弓の影とも驚く 一輪も降らず 萬水も昇らず 鳥は月下の波に伏す 聞くともあかじ秋の夜の 鳥も鳴き 鐘も聞こえて 月もはや 影かたむきて明方の 雲となり雨となる この光陰に誘はれて 月の都に 入りたまふよそほひ あら名残惜しの面影や 名残惜しの面影
能「融」をもととした曲です。後ジテの融の出現からを地唄にした、無常の世の月影の幽玄な舞です。
能「融」 六条河原の院にお住まいの源融の大臣は、陸奥の千賀の鹽竈の、風光明媚な眺望をお聞きになり、ご自分の邸にその鹽竈を移し、難波津の浦から日毎に潮を汲ませ、塩を焼かせながら景色を愛で、風流の限りを尽くして一生をすごされました。今は跡を継ぐ者もなく、水も涸れ、荒れ果てています。ある明月の夜、一人の旅僧がおとづれると、汐汲みの老人が現れ、昔の栄華を語りますが、実はそれは融の大臣の霊。やがて昔の優雅な貴公子の姿で現れ、月の光のもとで夜遊の舞を舞います。月下に描きだされる、ゆめ幻のごとく美しい景色。やがて明け方の光陰とともに、姿を消して行くのでした。歳月の流れは早くとも月の光はいつも変わらずに照りわたります。
地唄「融」は、後場、颯爽とした源融大臣の登場したサシ謡の後半から終わりまでの謡曲の詞章をそのまま用いて作曲してあります。前弾きには三味線組歌「揺上(ゆりかん)」の手が用いられています。
融の大臣の月の夜遊を詩的に舞います。融が月の都へと帰って行った後には、またもとの涸れはてた六条河原の院に、夢からさめた旅僧がたたずむのでした。優雅な融の姿も、美しい庭園も、みな無常の世の月影が見せた夢なのでした。
能 融
<資材>
風流を愛する源左大臣、融の朝臣は、賜姓源氏(天皇の子に生まれながら臣下となり、源姓を賜った人)として六条河原の院にお住まいでした。紫式部の『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルのひとりにあげられるほど、風流を愛し政治にも勤勉かつ経済的にも富裕であらせられました。父嵯峨上皇の嵯峨院(今日の大覚寺とその周辺)の西に棲霞観(後に棲霞寺、清涼寺となる)という別荘を構え、平安京内の五条から六条にかけての鴨川の西に広大な河原院を営みました。この邸宅が『源氏物語』の六条院に想定されています。
『源氏物語』が書かれた時代は、京に都が遷されて二百年、平安時代の中期、摂関体制の最盛期のもと女流文化が花開き、貴族文化の爛熟期にあたります。
融の大臣は、陸奥の千賀の鹽竈の、風光明媚な眺望をお聞きになり、ご自分の邸にその鹽竈を移し、難波津の浦から日毎に潮を汲ませ、塩を焼かせながら、あたりの美しい景色を愛で、風流の限りを尽くして一生をすごされました。
このことは『伊勢物語』第八十一段に、
「昔左のおほいまうちぎみいまそかりけり、賀茂川の邊六條わたりに、家いと面白く造りて住み給いけり。神無月のつもごりがたに、菊の花うつろひ盛りなるに、紅葉のちぐさに見ゆる折、みこたちおはしまさせて、夜一夜酒飲み遊びて、夜明けても行く程に、この殿の面白きをほむる歌よむ。そこに立ちけるかたゐの翁、板敷の下にはひありきて、人に皆よませはてゝよめる、鹽竈にいつか来にけん朝なぎに、釣する舟はこゝに寄らなむ」
と見え、また『古今集』には、
「河原の左のおほいまうちぎみの身まかりて後、かの家にまかりてありけるに、鹽竈といふ所の様をつくりけるを見て詠める」
と詞書した紀貫之の歌、
「君まさで烟絶えにし鹽がまの、うらさびしくも見えわたるかな」
を載せ、「顯註密勘」にも、六条院の鹽竈のことが記されています。
<曲趣>
切能物。早舞物。
河原の左大臣の美的生活の思ひ出を主題として、荒れ果てた景観に昔も今も変わりのない月光を配して、その月下に描き出される夢幻のごとき美景の中に、過去の生活の花やかなりし有様を偲び、それを偲び戀ふるにつけても、歳月の流れ去ることのいかにも迅速なるを感ぜしむる、芸術味も風流感も無常観もまことにゆたかな作品です。
場面は二場に分かれます。
……前場……
すでに融の大臣が亡くなって久しい院は、跡を継ぐ方もなく、贅を尽くした美しい庭園も、今は淋しく荒れ果てています。中秋の名月のころ、東国から上った僧が六条河原の院を訪れて休んで居ると、田子を担った老翁がやってまいります。こんな所に汐汲みの居る筈はないがと怪しむと、老翁は、ここは昔、融の大臣が陸奥の千賀の鹽竈をうつした所なので、汐汲みがいるのは当然と答えます。やがて月が出てますますあたりを美しく照らし出すと、老翁と旅僧はたちまち詩中の人となり、畫中の人ともなるのでした。老翁はさらに昔を懐かしみ、融の大臣と六条河原の院の昔話を始めます。月下の風景を愛で、陸奥の千賀の浦曲(うらわ)の眺めを物語り、日ごとに潮を汲んで塩を焼かせて風雅に遊んだ源の融。けれどもその後相続する人もなく、今はすっかり水も涸れ、荒れはてていることを嘆き、「音をのみ鳴くばかりなり」と老翁は涙します。
昔を恋い慕いながらもあふれる詩情にまかせ、老翁は旅僧に、京都盆地を取り囲む四辺の名所や山々をさししめし、教えます。廃墟となった六条河原の院のまわりの景色が、月光の中、ゆめまぼろしのように浮かび上がります。(「名所教え」と呼ばれる小段)
やがてふけゆく秋の夜の月影に、つい興じて長物語のうちに忘れていた汐汲みを思い出し、再び田子を肩に担い、「汲めば月をも袖にもち汐の」と左右の田子を投げ出して汐を汲み入れ、その桶の汐に映る月影をうち見やり、「汀に帰る波の夜の」と行きかかり、田子を背後に捨て、「汐曇りにかき紛れて」、その姿をかき消します。(中入り)
旅僧はなおも奇特を見ようとして夢待ち顔にうとうとと寝入ります。
……後場……
やがて過去の栄光のおもかげそのままに、源の融がありし昔の優雅な姿で現れ、月の光のもと、今や満々と水を湛えた院の庭をうちながめ、昔の夜遊を思ひ出され、袖をひるがえして舞い始めます。さす舞の手は、「秋来れば月の桂の実やはなる」と詠まれた、その桂の木の枝枝に月光を花と散らすかのようです。融の大臣は、貴人の遊舞の舞、早舞を舞います。
舞いあげてもなほ興趣はつきず、心は依然として月から離れることがありません。まずは初月の「宛轉雙蛾遠山色」とも言はれる三日月の形から、一輪の明月とまで成長して行く光輝遍満の不思議な妖力に惹かれて、あるひは水中に遊ぶ魚は釣針かと疑い、雲の上を飛ぶ鳥は弓の影かと驚き、また物のあわいも常に変わらぬ月の光の中で、あるいは鳥たちは池のほとりの樹にやすらい、魚たちは月の光に照らされた波の下にねむるのでした。今、融の大臣も、月光にうかれて昔日の夢に興のつきることもありませんでしたが、すでに月影も西に傾いて、明け方の雲となりましたので、光陰(月夜から暁に変わり移る時間)に誘われて、再び月の都をさして姿を消して行かれるのでした。
それは昔の風流大臣の夢の跡でしたが、よくよく思えば、旅僧の詩的空想の夢にすぎなかったのです。旅僧こそ真実の詩人ではありましょう。
(参考資料)
歌舞伎四百年 三月大歌舞伎(2003年)南座 夜の部 プログラム
『源氏物語』<瀬戸内寂聴 訳・脚本>須磨・明石・京の巻
『源氏物語』の時代 朧谷 寿
観世流謡曲本『融』
六条河原院サイトへ
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