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2007年
平成丁亥歳

◆ 六月十一日(月) 観世榮夫先生をしのぶ

 

・・・激動の人生の最後をしめくくった

雷神の乱舞・・・

 

平成十九年六月八日(金)

午前八時三十五分

演出家で能役者の

観世榮夫先生が

彼岸へと旅立たれました

 

一日おいて十日(日)がお通夜

ご親族のみの密葬

 

伝統的能の世界から

現代演劇の最前線へと駆け抜けた

能楽界の異端児

演劇界の革命家の

一生をしめくくるかの如く

朝から天地を轟かす雷と

地を穿つ激しい雨

 

龍神が荒れ狂い

天地創造をなすかのよう

 

そんな洪水も午後には次第におさまり

夕方にはあがって

洗われた町並みを抜ける風はさわやかに

心地よく頬をなでてゆく

 

翌十一日(月)の告別式の日も

朝からまた同じく雷雨が荒れ狂う

けれどそれも式の始まる2時間ほど前

午前10時頃にはあがり

再び青空が広がりました

 

激変の空模様

けれど参列者の集う時刻には

嘘のように穏やかに鎮まって・・・

観世榮夫が語る「鏡花の魅力と美しい日本語」

 

天も観世榮夫先生の歩まれた

人生にふさわしい最後を

演出しているかのようでした

 

「決して妥協するな

妥協したらいいものは生まれないぞ

けんかしろ

徹底的にぶつかりあって火花を散らして

そして作品をつくれ」

 

というのが演出家としての先生の口癖

激しくて厳しくて

こわい先生

 

けれどいつもみんなを見ていて

誰もがもれなく

心の満足が得られるようなことを望んでくださり

どこかに人をとことん愛する

深い優しさを秘めた方

 

雨上がり

まぶしい光に乗って

先生の魂は高く高く

青空のかなたへと

舞いあがっていかれました

 

ご生前の

真剣で命を燃え尽くすかの如く

とことん突きつめたご指導に

深く深く感謝申しあげます

 

ご冥福を

心よりお祈り申しあげております

 

読売新聞 2007年6月11日(月曜日) 掲載記事 「観世榮夫さんを悼む」渡辺保

2005年
平成乙酉歳

◆ 五月二十八日(土) チロからのメッセージ

僕の名前は

河合一郎です

 

僕のお母さんは

僕の顔を見るといつも

「可愛いチロ」「可愛いチロ」と

呼びかけます

 

僕がこちらへ来てしまってからは

ふと僕のことを思い出しては

やっぱり

「可愛いチロ」「可愛いチロ」と

僕がそこにいる時と同じように

呼びかけます

 

そのたびに僕は

お母さんのそばへとんで行って

お母さんの回りを

とびはねます

 

「お母さん こんにちは

僕はここにいるよ

お母さんに会えて

嬉しいね」

 

でも悲しいことに

お母さんは僕の方を

見てくれません

 

あいかわらず遠くの方を

夢見るようにうつろにながめては

「可愛いチロ」「可愛いチロ」と

くり返します

 

「可愛いチロ」「かわいいチロ」

「かわいいちろ」「かわい いちろ」

 

だから僕のフルネームは

チロの絵
チロ 九歳 ♂

「河合 一郎さん」と

お母さんが言ったんです

立派な名前でしょう。

 

そう 僕は

チロという名の犬

ヨークシャーテリアのオス

体重二.二kg

血統書つきですよ

 

あと二日で十七歳という

平成十三年十二月二日に

ふっと魂が体を抜けて

こちらへ来てしまいました

 

僕らの十七歳といったら

人間様なら百歳近く

年に不足はありません

 

「まあ可愛い」

元気に散歩する僕を

誰もが満面の笑みでふりむくほどの

ハンサム・ボーイ

 

「なんて性格のいい子だ」

犬の学校の先生に誉められるほど

素直で明るく

人なつっこく

あたりにしあわせをふりまく

星の王子様

 

それが十四歳を過ぎるころから

白内障で目は白濁

歯はぬける

耳も遠くなる

 

昼も夜もわからなくなって

夜空に「ウオン ウオン」と

吠えるようになりました

 

目は見えず

耳も聞こえず

歯が抜けて

口から血がふきだしました

 

でも僕は

ちゃんと自分の足で

ごはんも食べに行くし

トイレだって

足をふんばってすませました

 

もっとも

あちらへぶつかり

こちらへぶつかり

ヨロヨロ ヨタヨタ

でしたけどね

 

それでも僕は

頑張って生きたんだ

年をとるほどに

頑固になってきたけどね

 

かかりつけのお医者さんが言ってた

「この頑固者!」

 

そうさ

僕は頭をグイッと上げて

生きていたかったのさ

最後の最後まで

 

夜お母さんの腕に抱かれて

眠ってた

空から白い天使がやって来た

そして大きな羽根で抱きかかえるようにして

僕を連れてった

 

僕は「お母さん さようなら」

と言ったんだ

 

それまでぐっすり眠っていたお母さんは

目をさました

僕を起こさないようにそっと

僕から離れて立っていった

おしっこだね

 

少しして戻ってくると

横たわっている僕のことを

じっとみつめた

そして膝まづいて

僕の体をなでた

 

僕はまだ暖かい

でもお母さんはわかった

僕が天に召されたことを

……

 

お母さん お母さん

ありがとう

楽しかったね

毎日一緒にいられて

 

お母さん こちらで待ってるね

お母さんがこちらへ来たら

僕はすぐお母さんのそばに

かけよるよ

 

そしてお母さんのまわりを

ぐるぐる ぐるぐる 

回るのさ

嬉しくって 嬉しくって

とびはねるのさ

 

お母さん 待っているよ

お母さん 待っているよ

 

………………

 

チロに捧げる歌

 〜お母さんより〜

 

 よるひるあけこしたまくらは

 あけてもひさしくなりにけり

 なにとてよるひるむつれけむ

 なからへさりけるものゆへに

 

  (『梁塵秘抄』断簡 一九九五年発見)

 

◆ 一月二十三日(日) 大寒禊行(だいかんみそぎぎょう)

神が笑う。

「来た来た。あいつらがまたやって来た。」

神は待っていた。

 

世の人々の礎とならん、

直心影流の剣士たち。

白いはちまきの真ん中、

みけんには、「礎之會」の朱印。

 

言葉もなく、粛々と列は進む。

先頭の師の背中はこんもりとした小山。

そのあとに続くのは、子供たち。

師の腰の高さにようよう達したばかり。

小さなまりちゃんのお下げ髪が、

せなで揺れている。

 

さらに続くは大人たち。

二列縦隊の左は、初心者。

右には先輩方。

大寒禊行初参加の私の隣は白石先生。

その足音が心強い。

先生のマフラーが暖かそう。

この次は私も首に巻く物を忘れまい。

 

まだ鳥も鳴かぬ暗闇。

原始の森は黒々と寝静まり、

墨色の空を支える。

 

鹿島の宮の神様、

お初にお目にかかります。

聞きしにおよぶ武運長久の神。

ずっとお会いしたいと思っておりました。

 

昔、「鹿島」という名前の人がおりました。

こっそり申し上げます。

その人に淡い恋心を持っておりました。

もう何十年も前。

今では、どこで会った人かもおぼろです。

丸顔のあばた面だったような気がします。

 

でも私が今日晴れ晴れとうれしいのは、

そんなことからではありません。

鹿島の宮の神様にお目にかかり、

それを神様がとても

喜んでくださっているからです。

 

神様また来年もお会いできますように。

無事大寒禊行を終えさせて下さった神様に、

歌を捧げます。

つたないですけれど、

どうか笑わないでください。

【鹿島の森の御手洗の池に禊して詠める歌】

 ぬばたまの 原始の森に 鎮まれり 神も照覧 大寒禊

 霜柱 凍てつく足先 さし入れぬ 御手洗の池は 母の羊水

 たまきはる 魂を磨かん みそぎなり 我がこぐ舟に 業の波よす

 金色の 鯉の背に乗る 鳥舟は 鹿島の森の 空に浮かべり

 脱ぎ捨てて 白き氷となる衣 その刃(やいば)おさめて 甘酒飲まん

 おみくじも 破魔矢もいらぬ 我こそは 鹿島の宮の 神の申し子

 払暁の 大寒禊の 名残なり わがくさめを 聞けや人々

「ハックショーイ!」

2004年
平成庚申歳

◆ 五月八日(土)  法住寺殿(ほうじゅうじどの)

淡いサフラン色の朝日がさしこみます

深緑の葉を茂らせて屹立する

杉木立の黒い柱の間から

 

木漏れ日は

磨りガラスのはまった格子戸をすかして

部屋にあかしを灯します

 

地の底から湧き起こり

天空いっぱいに満ち渡る

おごそかな響き

まだ町は眠っています

 

それは晨朝の鐘の音

私の体にひろがるさざ波は

微細な細胞をふるわせて…

 

木目の浮き出た格子戸の木枠に

両手の指先をかけ

横にスーと引くと

二階の欄干越しに広がる

一面若緑の梢と

銀ねずの屋根瓦

 

天に昇る龍のような曲線を描いて

のびやかに背高く空に向かうひのきの

刈り込まれた枝々の向こうには

重く静まる瓦屋根の館

 

人の目の高さに

細くすき間もるたて格子をはめた木の門は

深いひさしの下にこもって闇に沈んでいます

 

私がめざめたこの東向きの部屋に平行に

左右にのびる質素な木の塀にも

同じたて格子が並びます

幾条ものたてすじからこぼれる

館の内の緑

 

その下を覆う赤茶色の板は

すっかり年月に洗われ

風雨のみそぎを経たすがすがしさ

 

そこは後白河法皇の御陵

法住寺陵

そしてここは 法住寺

法住寺陵をお守りしているお寺です

 

昔このあたり 鴨川の東 東山のふもとに

広大な後白河法皇の院御所 法住寺殿が

絵巻のようにその偉容を誇っていました

その広さ十余町

 *一町はおよそ一万平方メートル

 

法住寺の向かいにたたずむ

国宝の三十三間堂も

その内に数多く建立されたお堂のひとつに

すぎなかったとか

 

遊びを極めた後白河法皇

人々が口ずさむ今様を集めて

『梁塵秘抄』を編んで残して下さいました

 

 

 遊びをせんとや生れけむ

 戯れせんとや生まれけん

 遊ぶ子供の聲きけば

 我が身さへこそ動がるれ

(『梁塵秘抄 巻第二』より)

 

院のかたへには白拍子

鼓を打ち 扇をひるがえして

歌い 舞います

 

木曽義仲の焼き討ちにあい

うたかたと消えた法住寺殿の夢の跡

 

その真ん中で ご飯を食べたり

お風呂にはいったり

蒲団にもぐりこんで眠ったり

もったいないことです

法皇様 ご機嫌いかがですか

 

御陵の右後には 

鉄筋コンクリートのビルが

四角く灰色の肩をとがらして…

 

そのビルとの間には

なだらかな稜線で空をふちどる東山

ふとん着て寝ておざります

 

 

 ふとん着て 寝たる姿や 東山

(服部嵐雪)

 

やがて朝の光も爛熟し

梢の葉はキラキラと輝きを返します

寺々の鐘は次第に数を増し

重なり合う多彩な響き

読経の声や鈴の音もうちまじり

法住寺殿の朝は 

祈りで始まりました

 

 

 静かに音せぬ道場に

 佛に花香奉り

 心を靜めて暫くも

 讀めばぞ佛は見えたまふ

(『梁塵秘抄 巻第二』より)

◆ 五月二日(日)  恋心

し・ず・か・な〜

ゆったりと流れるメロディー

  

ソプラノ・アルト・テノール・バス

ふくらんでひろがるハーモニー

 

 

 静かな夜更けに いつもいつも

 思い出すのは お前のこと

 おやすみ 安らかに

 たどれ 夢路

 おやすみ 楽しく

 今宵も また

(『遙かな友に』作詞・作曲 磯部 俶)

 

 

高三の春に逝った友との

最後のお別れに

みんなで歌った曲

 

あのころから三十五年がたちました

平成十六年五月八日 都立小石川高校 音楽研究会 OB会
平成十六年五月二日
都立小石川高校 音楽研究会 OB会
高校のクラブは混声四部合唱

音楽研究会

略して音研(おんけん)

時には音チ研と称したり…

 

三十五年後の再会を

想像したでしょうか

 

あのころは青春のまっただなか

今思えば 

ただただ夢を見ていました

恋の夢を

 

 

 Im wunderschönen Monat Mai, 

 aIs alles Knospen sprangen,

 da ist in meinen Herzen

 die Liebe aufgegangen.

 美しい五月

 つぼみがふくらむように

 私の胸の内に

 恋がめばえる

 

 Im wunderschönen Monat Mai,

 aIs alles Vögel sangen,

 da hab’ich ihr gestanden

 mein Sehnen und Verlangen.

 美しい五月

 小鳥がさえずるように

 私は彼女に打ち明ける

 胸の内の熱き思ひを

(『Im Wunderschönen Monat Mai (美しき五月に)』作曲 R. Schumann 訳 桂充)

 

 

ロマン 芸術 恋の歌……

ドイツ・リート

イタリア歌曲

その詩とメロディーの世界に

迷いこんでいました

 

夢うつつ

なんとたくさん

見たことでしょう

みはてぬ恋の夢を

 

空にあがってゆく

シャボン玉

 

 

 Ho sognato che stavia ginocchi

 Come un santo che prega il Signor,

 Mi guardavi nel fondo deglo’cchi,

 Sfavillava il tuo sguardo d’amor.

 

 Tu parlavi e la voce sommessa

 Mi chiede a dolcemente mercè,

 Solo un guardo che fosse promessa

 Imploravi curvaro al mio piè.

 

 Io ta ceva e coll’anima forte

 Il desio tentatore lottò

 Ho provato il martirio e la morte,

 Pur mi vinsi e ti dissi di no.

 

 Mail tuo labbro sfiorò la mia faccia

 E la forza del cor mi tradì.

 

 Chiusi gli occhi, ti stesi le braccia,

 Ma sognavo e il bel sogno svanì!

(『Sogno (夢)』作曲 F. P. Tosti)

 

 

八分の六拍子 

ピアノがくりかえす

分散和音のさざ波にのせて

子守唄のようにやさしく

たゆとう調べ

Ricordi社の楽譜 Tosti 『Sogno(夢)』
Ricordi社の楽譜 Tosti 『Sogno(夢)』

トスティの『 (夢)』が

愛唱歌でした

 

はかなき夢に残る

君がみ姿…

 

Ricordi社の楽譜の表紙では

少女の指にとまった小鳥が

さえずります

 

いつも枕元に置いて眠りました

やがてすいこまれて行く

青い空のかなたへ

 

甘い夢に酔いました

 

三十五年

ふり積もる幾星霜

荒波が何度も押し寄せました

岩に砕けて歯をむく大波小波

 

 

 恋ひせは痩せぬべし 恋ひせずもありけり

(大曲(秘曲)「足柄」足柄十首の内) 

(原本『平家物語』十・海道下 重衡)

 

 

ようやく夢からさめました

でも失いたくない

恋心

ずっと…

 

美しい春

ふくらむつぼみ

めばえる恋心

 

それはすべての芸術の源

こんこんとあふれ出る泉

 

 

 そよや 

 こ柳によな

 下り藤の花やな

 さき匂ゑけれ

 ゑりな

 むつれたはぶれや

 うち靡きよな

 青柳のや

 や

 いとぞめでたきや

 なにな

 そよな

(『梁塵秘抄 巻第一 古柳』より)

 

 

 

 *「恋ひせは」… 『平家物語』十・海道下(原本成立1219〜1243)(重衡)

 清見が関をうちすぎて 富士のすそ野になりぬれば 

 北には青山峨々として 松吹風索々たり 

 南には蒼海漫々として 岸打つ浪も茫々たり 

 「恋ひせばやせぬべし 恋いせずもありけり」と

 明神のうたひはじめ給ひける足柄の山をもうちこえて…

 

 A 恋ひせは痩せぬべし 恋ひせずもありけり  (屋代本・覚一本)

 B 恋ひせは痩せぬべし 恋ひせずもありなむ      (八坂本)

 C 恋ひせは痩せぬべし 恋ひせずもありぬべし     (長門本)

◆ 四月二十七日(火) 直心影流(じきしんかげりゅう)

阿― ン、吽─

 

白い稽古着に白い袴

古(いにしえ)の剣の道

鹿島の神より授けられ

伝えられたる

直心影流

 

大地をゆるがすようなその呼吸

 

阿― 息を吸う

ン、 息を丹田に収める

吽─ 息を吐く

 

しんとした武道場に

息の音だけがゆったりと流れます

 

阿― 全宇宙の空気を吸い込む

    阿の形に横長に開いた口から体内へと

      

ン、  吸った息を丹田へと

    ぎゅっと押して落とす

    口を吽の形にへの字に結んで   

   

吽─ 凝縮された空気を

    細く長く糸を引くように吐き出す

    口は吽の形のまま鼻から

   

形相はまさしく大地にふんばる仁王様

 

阿― 息を吸いながら踏み出される一歩

ン、 息を丹田に収めながらすわる腰

吽─ 息を吐きながら引き寄せられる後ろの足

 

仁王様が動きだします

巖のように

 

直心影流の真骨頂 真歩(しんぽ)

真に歩むとは…

すべては呼吸から始まると説きます

 

そう言えば 私もあなたも

母の胎内から外に出て

一番最初にしたことは

呼吸だったはずです

 

けれど

オギャーと産声をあげた瞬間から

そのことを忘れて生きてきました

 

直心影流の稽古は

私に思い出させてくれました

母の胎内から生まれ落ちた瞬間のことを…

 

宇宙の無限を感じさせるその呼吸

 

朝焼けの東の空

山の端から日輪が

少しずつその姿を顕わし

やがて燦然と光を放って

空へと上って行きます

すべての物を輝かせて

 

夕焼けの西の空

まっかにとろける入り日は

名残を惜しみつつもあっけなく

水平線のかなたへと沈んで行きます

たそがれの闇を深めて

 

「日が昇る。日が沈む。

その速さと同じ速さで呼吸をするんです。」

直心影流の師はおっしゃいました

 

「浜辺に波がうち寄せる、

そしてまたその波が引いて行く。

その波のように足を運びます。」

直心影流の先輩は言いました

 

足柄の山の中での滝行が

私の頭によぎりました

「我と自然と一体なり。

そう念じなさい。」

その方はそう言って

私を導いてくださいました

 

「我と自然と一体なり。」

美しい山間の滝壺でそう念じ

ごうごうと轟き落ちる瀑布の下へ

体を打つ水しぶきの中で

唱える般若心経

 

頭のしびれるような冷たさも

やがて薄らぎ

きらきらとクリスタルに輝く

水のカーテンの中で

滝に抱かれた私は

溶けて粒子となって

龍神とともに浮揚します

 

清らかに渦をまいて流れる水

四季の移ろいとともに彩られる木々

日本の美しい自然の中で目を閉じ

その中に融合していく時

満ち足りた至福の思い

 

日が昇るように息を吸い

日が沈むように息を吐く

 

波がうち寄せるように一歩を踏みだし

波が引くように足を引き寄せる

 

「我と自然と一体なり。」

自然から生まれて自然に帰る

そしたらきっとおとずれるでしょう

至福の時が…

 

 

 彌陀の御顔は秋の月

 青蓮の眼は夏の池

 四十の齒ぐきは冬の雪

 三十二相春の花     (『梁塵秘抄 巻第二』より)

2003年
平成癸未歳

◆ 六月十九日(木)  滝行(たきぎょう)

龍神が躍る

金の鱗を光らせて

龍神が天がける

銀のしぶきを散らして

龍神が舞う

七色の虹をぬって

「えい、えい、えい、えい、えい、えいーっ!」

気合いをこめて宙に描く

“光”の字

「さっ、行きましょう。」

導師にうながされ、

清らかな滝川の

透きとおった水の中へとそっと

おろす足先。

白い行者足袋が、

水底の黒い岩を踏みしめます。

柔道着のような

厚手の木綿の衣のすそが、

重く濡れました。

太く堅い金剛杖で、

足場をたしかめながら、

だんだんと滝のそばへ。

滝つぼの近くの深みで

肩まで沈むと、

胸はとどろと早鐘。

負けじと唱える

不動明王御真言

冷たい水は、

初夏の柔らかな水となって、

心地よく体のまわりに

渦を巻いて流れて行きます。

いよいよ落下する滝の真下へ。

六十九メートルの頂から、

潔くひとすじに急落する洒水(しゃすい)の滝

金剛杖を体の中心にしっかと立て、

両手で握りしめます。

滝つぼの岩の上に仁王立ち。

勢いあふれる龍神のしっぽが、

私の頭を、顔を、肩を、胸を、

びしびしと叩きます。

摩訶般若波羅密多心経

観自在菩薩

行深般若波羅密多時

照見五蘊皆空

度一切苦厄

舎利子

すさぶる竜神の

さかまく勢いにのまれまいと、

ぐっと下腹に力をこめて

声をはりあげる

般若心経

色不異空

空不異色

色即是空

空即是色

ゴーゴーととどろく滝音をぬって、

かたわらでシャラシャラと

金剛杵をうちふりながら、

激しく御真言をお唱えくださる

導師の声

のうまくさあまんだ

ばあさらだせんだん

まあかろしゃだ

そわたやうんたら

たあかんまん

プフォーオオーー

プフォーオオーー

時には、

谷いっぱいに響きわたれと、

力強く吹き鳴らされる、

地底から湧き上がるような

ほら貝の音。

不動明王の使いのごとき

導師の祈りに守られ、

一心に般若心経をお唱えしていると、

猛々しい竜神の水瀑が、

春雨のようにやさしく、

やわらかく、

あたたかみまでふくんで、

キラキラと輝いて

目の前に散ります。

息もつまる水の落下が、

ふわっと軽くなりました。

どなたかが、

私の頭上に慈愛の傘を

さしかけて下さったのでしょうか。

般若心経の三巻めも終わりに近づいた時、

「もう上がりましょう。」と、

導師の声。

もう少し、もう少しで終わりですからと、

心に念じてなおも続けていると、

「もうやめましょう。」と、

さらに強く制止なさる導師の、

あわてた気配。

心は残りながらも、

ご心配くださる導師の

おことばに従って、

竜神のしぶきの外へと、

身をひるがえしました。

水の流れから上がり、

滝に対峙する大きな岩の上で、

洒水の滝の竜神さまに、

柏手を二つ打ちました。

「竜神さま、

今日は生まれて初めて

滝行をさせていただきました。

私をやさしくお迎え下さり、

ありがとうございました。

これからも、

四季おりおり、

千変万化のお姿に

お目にかかりとうございます。

時には厳しく、

時にはやさしく。

きっとその時の私に必要な

お姿で、

現れて下さることでしょう。

どうか、また

魂の修行をさせてください。

◆ 五月五日(月)  満天星

鈴蘭の花のような、

白い小さな

満天星(どうだん)の花が咲きました。

楚々としたおとめの

可憐な耳飾りのように下を向いて、

丸く刈り込んだ枝いっぱいに

ぶらさがっています。

満天星(どうだん)のプラネタリウムです。

橋本恒生さん、

満天星(どうだん)の花が咲くと、

あなたを思い出します。

「名前は、“つねお”です。

恒星の恒に、生きると書いて、

恒(つね)に生きる。

“つねお”です。

恒に生きるって、

どうしたらいいんでしょうね。」

青春の純粋さも残酷さも

同居していた高校時代。

混成四部合唱のクラブ、

音楽研究会、

略して音研の夏の合宿は、

新潟の石打。

夕食後のひととき、

車座の自己紹介の輪の中で、

自分に問いかけるように

つぶやいて、

遠くを見つめて

白い歯を見せた

あなたのほほえみを

ありありと憶えています。

あなたが指揮で、

私はピアノ伴奏。

自分から望んで指揮者となり、

居並ぶ得手勝手な学生どもを

とりまとめ、

美しい声のハーモニーを

築きあげようとする、

覇気とロマンを持つあなたは、

生意気な伴奏者の私の

意見のずれからのふくれっ面を

おどおどと尻目使いに気遣う

気弱な優しさを見せて……

秋の学園祭、

「創作展」に向けての

猛練習。

今年の曲は、

合唱組曲「山に祈る」。

構成・作詞・作曲 清水脩

3月5日、

卒業を目前にした大学生の

北アルプスでの遭難死を

扱った曲。

山よ お前の ふところは

山の男の ふるさとよ

嬉しい時は 山へ行く

淋しくなれば 尾根歩き

山よお前の 優しさは 

テラスの窓の 星のように

テントの窓から 忍び込む

小屋の窓から 降ってくる

(合唱組曲「山に祈る」1.山の歌)

山の冷気漂う石打の夜

キャンプファイヤーの

パチパチはぜる

サフラン色の炎から

もうもうと立ちのぼる

煙の行方を追って見上げれば、

空には満天の星が降るように……

満天の星 凍る夜気

山々は 黒々と

雪に埋もれた 小屋を包む

(合唱組曲「山に祈る」3.山小屋の夜)

誰からともなく歌い出す声が、

やさしいハーモニーとなって

夜空にのぼります。

彦星との逢瀬を待ちわびる

織り姫の胸のときめきを流して、

天の川は白い乳色の帯。

銀河鉄道の夜は、

青春の夢と痛みを運びます。

沢で飲んだ水のうまさ

額を流れた汗の玉

振り仰いだ空の青さ

銀色に輝いた岩壁

元気づけてくれた友

(合唱組曲「山に祈る」3.山小屋の夜)

橋本恒生さん、

あなたは高校二年の時、

突然亡くなりました。

難病があなたを襲い、

若い命を奪い去りました。

お別れの日、

霊柩車が

ひっそりと固く、

ずっしりと静まりかえった

ひつぎを乗せて走り去ると、

幾重にも長い真珠の首飾りを

ひきちぎったように、

なぜだか、

急に涙があふれて

止まらなくなりました。

私は、

月に吠える狼のように、

声を上げて泣きました。

(朗読)手の指凍傷で、

思うことの 千分の一も書けず。

全身ふるえ、ねむい。

やさしいお母さん ごめんなさい

先に死ぬのを 許してください

(朗読)山でうぬぼれず、

つねに自重すること。

お母さん ごめんなさい

やさしいお母さん ごめんなさい

ごめんなさい

(合唱組曲「山に祈る」6.お母さんごめんなさい)

あれから一年、二年……

何十年かが過ぎていきました。

あなたの面影も失せて……

でも、毎年、

満天星(どうだん)の花が咲くと、

あなたを思い出すのです。

満天の星 凍る夜気

山々は 黒々と

雪に埋もれた 小屋を包む

(合唱組曲「山に祈る」3.山小屋の夜)

「名前は、“つねお”です。

恒星の恒に、生きると書いて、

恒(つね)に生きる。

“つねお”です。

恒に生きるって、

どうしたらいいんでしょうね。」

◆ 四月二十七日(土)  秋田追分け

春の花見は 千秋(せんしゅう)公園 きたさのさ

夏は象潟(きさかた) 男鹿島(おがしま)か

秋は田沢か 十和田のもみぢね

冬は大湯(おおゆ)か 大滝か

          (秋田追分け)

秋田には、まだ行ったことがありません。

和風れすとらん「白木」の

みっちゃんが歌ってくれました。

りんごのほっぺの丸顔に

こけしの目鼻、

秋田おばこときたもんだ、ほいさ。

秋田おばこのみっちゃんが、

秋田おのこのお父さんの尺八で、

秋田追分けを歌ってくれました。

行ったことのない秋田が、

狭い「白木」の部屋いっぱいに広がりました。

飴色の堅い竹の根の響きが、

地をはいます。

少しハスキーで力強い歌声が、

ふるさとへのあこがれを運びます。

「もうお店つぶれそう。」

「白木」のお母さんは、

悲しそうに眉をくもらせて言います。

入り口のわきのインターホンは

がっくりとはずれ落ち、

壁にはがらんどうの四角い穴。

その暗闇の奥から伸びる、

たった1本の電気コードが命綱。

その先にかろうじてぶら下がるインターホン。


傾きかけた風前のともしび。

ばんからな新劇人のたまり場として、

熱い議論を見守ってきた、

和風れすとらん「白木」。

「今の人は味がわからなくなっている。」

腕のいい料理人のお父さんは、

嘆きます。

吟味した新鮮な素材も、

大量生産の冷凍物も、

違いがわからないのではない、

何にも心が向かわない、

無関心さ。

私の好物、

おにぎり定食。

お米は粒が立って、

中の梅干しは新高。

たらこは、身が引き締まってごく上等。

みそ汁の味噌は、こくのある特別製。

日本人に生まれたしあわせ……

みっちゃんのおおらかな歌声は、

頭の上を流れて行きます。

のどかな秋田の四季の山紫水明が、

走馬燈のように浮かんでは消え、

湯煙にかすみます。

◆ 四月二十三日(土)  竹の子

竹秋の 竹の根の土 あさく見ゆ  (林火)


ビリケン頭の先をチョボチョボとけばだてて、

竹の子がゴロゴロ。


八百屋の店先の通りに面した、

一番人目につく足元。

「朝堀り」と筆太に書いた札を添えて、

土の香りと一緒に大砲の弾を並べたように、

行儀良く置かれています。


あがったばかりの春雨の霧のしめりを帯びて、

つやつやとした猪の毛皮の黒土色の衣を

幾重にもびっしりとまとって……

ああ、春の土の申し子。

「柿生(かきお)の里の山寺で

竹の子を掘ったよ。

立派な竹林があるんだ。

米ぬかであく抜きして

ゆでたんだ。」

「あんなやつ、大嫌い!」

夜道の石にも当たり散らし、

蹴飛ばして猛然と風を切って、

駆け戻った真夜中。

昨夜のけんか相手が、

私の目の前に

器をさしだしました。

口をとがらせて

ふたをあけると、

もう、固く猛々しい皮の衣は脱ぎ捨てて、

ほんのりと色白の、

背丈十センチ足らずの

みずみずしい竹の子。


まるで愛らしいかぐや姫。

乳白色のしっとりとしたやわ肌が、

ぬれぬれと輝いています。


水でしめしたまないたの上に横たえて、

そっと押さえた手元に

心許ないやわらかさ、

ひたと肌にあてる鉄の刃。

薄くそぎ切りに……


ひとひらつまんで口元へ。

前歯でそっと噛んでみました。

「おいしい。」

ふわっとあふれる

青い春のかほり。

ほろ苦いえぐみの中に、

冬の能登の荒海でもまれた甘海老の、

桜色の肉の甘みが広がりました。

かぐや姫の春の官能に、

いつしかとろけてほころぶ

えくぼの花。

竹の子や きのうのけんかも 仲直り (桂充駄作)

*竹の秋 

一般の草木と違って竹は春四月頃に葉が黄ばむ。地中の筍を育てる為という。

竹の春は秋。竹秋(ちくしゅう)は旧暦三月の異名。

◆ 四月二十二日(水)  霧の雨

しとしとしとしとしとしとしとしと…

針やわらかに 春雨のふる

しとしとしとしとしとしとしとしと…

かすかなかすかな雨音は、

耳奥にささやくやうに…

しとしとしとしとしとしとしとしと…

極上のふわっと軽い綿のような

春雨の音に包み込まれ、

夜明け前のひそやかな息吹の中で

ねむる家々。

雪はしんしんと、音もなくふりました。

重たいしら雪がとけて、

春の芽生えの予感を運ぶ春雨は、

しとしとと、やわらかなしとね。

みどりこをはぐくむ、

天地の音のはじまりでしょうか。

母の愛の慈愛にいだかれて、

町はねむります。

中国の詩人が詠いました。


梨花一枝帯春雨 「梨花一枝、春、雨を帯ぶ。」

              (白楽天『長恨歌』)

命を絶たれ仙女となった

傾国の美女、楊貴妃は、

浅緑のうす色の春雨に透ける

白い五弁の梨の花。

比翼連理の契りをかわした帝の、

下界からの使いの訪れに

頬をぬらします。

日本の俳人がよみました。


象潟や 雨に西施が ねぶの花

          (芭蕉『おくのほそ道』)

おくの細道の象潟のおもかげは、

うす化粧の美女西施。

長いまつげのような雄しべが、

にじんだ手まりのように雨に煙る、

淡い紅の合歓の花。

物思いに沈んだ目をただよわせて……

しとしとしとしとしとしとしとしと……

耳の奥の海のかなたから魂にささやく、

何千本、何万本もの、

絹糸より細く羽毛より軽い、

極細の針のふる音。

霧の雨 かかりて袖に濡れ燕

あれ 見やしゃんせ えゝ鳥でさへ

馴れし所を振り捨てて

知らぬ他国で苦労して

ややをもうけてはるばると

故郷へ帰る旅の空

しをらしいでは ないかいな

           (上方歌「霧の雨」)


もうすぐつばくろが空を切り取るように

翼を広げて、スゥイー… スゥイー…

巣の中では、

雛が黄色いくちばしを頭より大きく開いて

ひよひよひよ……


漢宮第一の美女の名は、趙飛燕。

春風のように、柳腰が舞います。

夢は巫山の雲雨の上で。

ただよう霧、きり、

そして桐の花も咲くでしょう。

花満ちし 桐の下まで 行かんとす (誓子)


うす紫に桐の花が咲けば

楚々とゆかしくかほりたち、

はらはら、はらはらと

黒土の上に降りこぼれます。

見上げれば、

さやさや翠の葉の天井。

もの思わせる桐の雨が、

木漏れ日とともにふりそそぎます。

◆ 四月二十日(日)  波の音

ザザー  ザザー

春の館山の海は、

のたりのたりとやわらかに、

あたたかな青緑色。

潮が寄せては返す波打ち際の

透明なきらめきの底に、

黒や、白や、黄色や、薄紅や……

細かくくだけた貝の雫が、

ころげつまろびつ、

足元のつま先へみるみるおし迫っては、

頼りない泡のように身を引いて

姿を消し去ります。

「満月の次の日と、

新月の次の日、

それはプラタマの日。

インドではこう言います。

月に2度のプラタマの日、

それは勉学をしてはいけない日。

詩人も、音楽家も、役者も、踊り手も……

『詩人カーリダーサは、

プラタマの日には海辺へ行って、

一日中波を数えていた。』

グルジーがそう話してくれました。」

南インド、ケーララ州の田舎町で、

サンスクリット古典演劇クーリヤッタム役者の

至宝アマンヌール・マドハバ・チャキャールを

「グルジー」と敬愛をこめて呼び、

幼い頃から厳しくしこまれた若い弟子が、

私にそう教えてくれました。

蓮の花の 香ににおい 

マーリニー河の さざ波の しぶきを運ぶ この風は 

かたく抱くに ふさわしや

恋にほてりし 手足もて

 (カーリダーサ作 辻直四郎訳『シャクンタラー姫』)

カーリダーサのこの上なく美しい戯曲、

『シャクンタラー姫』。

愛しい人の子をはらみながら、

その人に忘れられ、捨てられた、

シャクンタラー姫の悲しみ、

苦しみがあふれて、流れて、

滝つ瀬となって……

そしてゲーテの「ファウスト」の、

嬰児殺しのマルガレーテを生み出します。

Meine Ruh ist hin, mein Herz ist schwer;

ich finde sie nimmer und nimmermehr.

(私のやすらぎは、消え失せてしまった。

私の心は鉛のように重い。

私はあの方に二度と会えない。

決して二度と。)

  (F.Schuberrt作曲「糸紡ぐマルガレーテ」)

くるくると回る紡ぎ車。

糸を繰りながら、

うつろなまなざしで  

愛しい人のおもかげを追い求め、

その甘いくちづけを恋い慕い、

思わずもらす

絶望のうめき。

Sein hoher Gang, sein' edle Gestalt,

seines Mundes Lacheln,

seiner Augen Gewalt,

und seiner Rede Zauberfluss,

sein Handedruck,

und ach, sein Kuss!

(あの方の気高いお姿、口元のほほえみ、

強く輝く瞳、よどみない言の葉、

握りしめた手のぬくもり、

そして、ああ、あの方のくちづけ!)

  (F.Schuberrt作曲「糸紡ぐマルガレーテ」)

ザザー ザザー

波は寄せては返します。

砕けた貝の雫をころがす

波の音のかなたから、

子をはらんだシャクンタラー姫が、

マルガレーテが立ちあらわれます。

大きな帆立貝に乗って

波打つ金髪をなびかせ、

春のそよ風に海辺へとふきおくられる

ボッティチェリの豊満な美の女神、

ヴィーナスのように。

◆ 四月十九日(土)  珍珠鱗魚    (橘 東洋治 撮)


花に嵐の散々ぱっと    (義経千本桜「道行初音の旅」より)   


今日の風です。


花に嵐のふかばふけ 君のこゝろの よそへ散らずは (隆達唱歌)


私は吉田茂おじちゃまが中国からもらって来た子の、

その子のその子のその子の…

紅白の金魚です。

縁日の金魚すくいの金魚とは違うわ。

日本ではここのお池にしかいないの。


ころっと丸い玉の形のボデイライン。

ころころころり、おなかがパンパン。

そう、ちょうど野球ボールよりは大きい

ソフトボールの球がこぶたんを作って、

ほんの小さい優雅なひれをはっつけて、

水の中にプカプカ浮かんでるっていう風。

あら、こぶたんは頭よ。


誰。笑うのは。

「なんて不格好な。」なんて。

そう言うのは、頭の固いこんこんちき。

私たちの辞書に、「スリム」という言葉はないのよ。


よく見てちょうだい。

春の光に透けてなびく

うすものの透明のカーテンのように、

尾ひれがゆらゆらゆらめくのを。

水に散ってにじんで流れた

ぼたんの花びらなのよ。


中国のご先祖さまたちだって、

こんな世にも云われぬ優雅な尾ひれは、

お持ちではないの。

このお池の他には、

世界中どこを探したって、

こんなすてきな尾ひれを持つ仲間は、

一匹だっていやしない。


うろこがまた自慢なの。

うろこは普通頭の方からしっぽの方へと重なっているでしょ。

私のは違うのよ。

一つ一つ丸い玉になって、並んでいるの。

まるで小さな半透明のパールを鏤めたよう。

だから私の名は 

珍珠鱗魚(ちんしゅりんいえ)


四、五月は私たちの産卵の季節。

お池の底に、ほらタピオカのつぶつぶのようなのが、

薄々としてへばりついているでしょう。良く見て。

あれが、私たちの卵。

でも、かえることができなかったやつなの。


無事命をいただいた卵は、このお池の中にいっぱい、

泳いでいるはずよ。

でも、針の先ほどの黒っぽい粒だから、

見えやしないわ。


もう二ヶ月ほどたったら、ピンポン玉の大きさになるわ。

その頃は、体中赤や黒や黄色や極彩色に色づいて、

そりゃきれいなのよ。

水を透かしてさし込む光のプリズムに、

宝石のようにきらきら輝いて、

ひらひら小さなひれを振って泳ぐの。

水の中を浮きつ沈みつ…。

きらきらゆらめく木漏れ日と

ゆらゆら、ゆらゆら遊ぶのよ。


日本に来たばかりのご先祖さまは、

十二年位は生きていたんですって。

でも今では寿命四年がせいいっぱい。

ここのお池の中に、親も子も孫もひ孫も玄孫(やしゃご)も、

兄弟もいとこもはとこも、おじもおばもめいもおいも、

みんな仲良く誰が誰ともなく妻になり夫になって、

楽しく春を謳ううちに、血の重なりが重なって重くなって、

もう早く天国へ行くことになりました。


花よ月よと くらせただ 程はないもの 憂世は (隆達唱歌)



春です。

パールの光を放ちます。

◆ 四月十五日(火)  金蒔絵


ほろほろと 山吹ちるか 滝の音     (芭蕉)


さくらは、はらはら。

山吹は、ほろほろと、散りまする。


筆の先にほんの少し紅をつけて、

たっぷりとした胡粉の純白に混ぜて、薄い桜色よりなほ淡く、

ほんのりかすかに紅をにじませた山桜の白の、

うすやうの花吹雪の散り敷くなかに、

ほろほろ山吹の、桜よりはふっくら丸みを帯びた、

愛らしい黄金の陽気な黄色がうち混じります。

垣ごしにぽたりと落ちた藪椿は、

濃い深紅のぽってりとビロードの艶をおびて、

爛漫の、金蒔絵の春とはなりました。

◆ 四月十一日(金)  落花の雪


はらと冷ややかな白味を帯びた、薄桃色のひとひらが舞って、

もう何年も替えられずに、すっかり枯色になってしまった畳の上に、

ひらと落ちました。

ああ、あの山桜の季節。

二階屋根をはるかに越えて、我が家を真夏の西日から遮り、

覆うようにして立つ、実生の山桜。


はらはら はらはら 

はらはら はらはら


ひさかたの 光のどけき春の日に しづこころなく 花の散るらん (紀貫之)


はらはら はらはら

はらはら はらはら

屋根にも、軒にも、ベランダにも、木々の梢にも、

蹲いにも、草にも、土にも、アスファルトにも、

はらはら はらはら

はらはら はらはら

はらはら はらはら


世の中の花見気分がいつしか埋火となって、

移り気な花心は、もうとうに桜を見捨てて…

そんな時、隣の庭に強い根を張る遅咲きの山桜は、

清楚に頬を染め、素朴にきどらぬ乙女のような、

淡い紅をにじませた白い花を枝いっぱいにまとうのです。

今一度、ふりあおいで桜を愛でる胸いっぱいのほほえみに、

深いため息をついてうっとりするのです。


はらはらと舞い散る花びら、

ころころとこぼれるサクランボウ、

さわさわと風に揺れて繁る緑の葉、

錦に色づいて、狐もちょいと頭にのせそな小判の葉、

春、夏、秋、冬、小さな町の片隅の、四季の移ろひポエジー。


豊かな実りを願って、ていねいに掘り起こされた、

肥沃な畑土のように黒々と、両腕にひとかかえして余りある太い幹は、

日影を反面緑青色に苔むして、まっ白な愛猫ラムさまの、

二階の窓へと通ずる梯子段。


空へは、若者の五本の手の指を大きく開いて突き立てて、

すくすく、この上なくのびやかな成長ぶり。

年々ずんと身長を伸ばすので、毎年庭師が桜切る馬鹿ではない、

切らねばなりませぬ。


降るハ涙か 降るハ涙か櫻花 散るを惜しまぬ人やある  (謡曲「熊野」より)


さわさわ さわさわ さわさわ さわさわ

そして、はらはら はらはら はらはらと、

吹いてくれるな仇風に、羽毛の軽さの粉雪か、

たよりなくふわふわ身をまかせて漂って、

しばらく空中を舞ったかと思えば音もなく、

ひたっと固い灰色の、アスファルトの上にはりつくように、

落ち沈む。


見上げた時は、やわらかな新芽の薄緑色の光に透かされて、

清しい白に揺れていた花、花、花…

地上に落ちてみればほんのりと、

湯上がりの肌に染まった薄紅色。


あとからあとから降る降るはなびらの吹雪に、

路面は埋もれて、淡い淡い紅を流す山桜の川かは。

無残に踏みしだく足元に、粉雪の桜が舞ひみだれる。


落花の雪に踏み迷ふ 片野の春の桜がり (太平記 日野俊基の道行文冒頭)


この花びらを絹のたもとでそっと集めて、

爪紅(つまべに)の両手にすくいあげ、

乙女心の恋ひのおもひを塗り込めて、

くるくる ころころ

丸(まろ)めてまりにして、

ぽんとついたらきっと、一い二う三い四(ひいふうみいよ)

勿忘草色の空色の、ずっとかなたの天のあなたまで

とどくことでしょう。


一い二う三い四 夜露雪の日 下の関路を

ともにこの身を 馴染みかさねて 中は円山ただまろかれと

思ひ染めたが縁ぢゃえ        (地唄「鐘が岬」より)


桜が……   狂ほしい。


◆ 四月一日(火)  遠山桜


能囃子・観世新九郎流小鼓第十八代宗家

           …宮増純三師の藝…



花を散らす冷たい雨の中、

両側からせまる山肌に、

深く鋭く切り込まれたその切り口のあわいから落ちる

見帰りの滝の水は、いつもより水かさを増し、

色に溺れた鳴神上人の封を切って天がける

竜神が如き勢ひで、

滝つぼにしぶきを上げていました。

もやがかかって霞む山並みに轟く滝音の中で、

ふとあの懐かしい小鼓の調べを聞いたように思いました。


谷の鶯なあ 初音の鼓 初音の鼓 (義経千本桜「道行初音の旅」より)


そう、指折り数えてみると、もう一昔ほど前。

もみじの錦あやなす西沢渓谷の、

幾重にも段をつらねて流れる滝の前で、

「こんなところで小鼓を打ったらどうだろう。」

「きっと良く鳴り渡るだろう。」

などと、代を重ねること十八代。折り目正しきもののふの、

顔をあわせては、思わず襟をただし、背筋のピンと立つに違いない、

ゆるぎない威厳を備えた名の響き、「新九郎」、

新九郎流と愛称される観世流小鼓宗家宮増純三師と、

その気のおけない門弟どうし、

野遊山のぶらぶら歩き、他愛のないおしゃべり。


青陽の春の始めにハ 霞む夕べの遠山       (謡曲「融」より)


その遠山に、おぼろの花の雲とたなびく、

木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)。


「門前の桜ではないんです。」

数少ない言の葉に、宗家の妻は何にも勝る誇りを秘めて、

「観世流小鼓は、遠山の桜。」


門前の桜の派手さは、決して持たぬ。

人知れず咲く山里の木の花の、墨色の山々にゆかしく淡く、

うす紅にたゆとう春霞色の響き。

しっとりと湿りを帯びたふくみのある音色は、滋味の衣をまとう。

ポッ、タ、チ。プポッポン。


四本柱に支えられた能舞台、

苔むす老松の鏡板の前にひかえては、

隣に座る毅然とした古武士、大鼓を亭主に持ち、

その傲慢と、唯我独尊のわがままを柳に風と、

受けて流して抱き留めて、婉然とほほえむ女房。

貞女の鑑とこそ、聞こえけれ。


そして、今や声をかけんとするひと筋の間の、ぴんと張りつめた静寂。

体がふるえるほどにこめられる、師の全いのち、全血肉のほむらの熱。

息を詰めて押さえ込む、地球の深部にとぐろを巻くマグマの噴火。

相手の骨をたっ切らんと拮抗する強者(つわもの)の、

一歩もゆるがぬせめぎ合いのしじまをぬって、

空を切り裂くかけ声の、修羅の鬼の気迫。


頬を寄せて思わず食みたい。愛愛しい初孫の前では、

ふわっとマシュマロの好々爺。

ひとたび鼓を手にしては、一変、戦記物の絵草紙の、

修羅場を駆けめぐる、猛き侍大将。


脈々と観世流小鼓宗家代々の血に流れて生きる新九郎さま。

あなた様の、魂を切り結ぶ小鼓の調べとかけ声が、

耳に、目に、鼻に、口に、腕に、足に、胸に、腹に、

五臓六腑に鳴り渡ります。

あなた様からいただいた観世流小鼓の遠山の桜は、

絶え間なくはらはらと、轟く滝の流れに降り散って、

こぼれて鳴り響くのでございます。


山の名の 音羽嵐の花の雪 深き情を人や知る   (謡曲「熊野」より)

◆ 三月二十七日(木)  春風


暑さ寒さも彼岸まで

あごまで深くうずめていた蒲団をはねのけて窓をあければ、

人の訪れも絶えて久しく、わびしさのみつのる独り居へ

ふいの恋しい来客のように胸ときめく、浅葱色の湿り気をおびた春の風。

いっせいに花が咲きだし、かたい新芽の、音をたてて開く予感。


霞棚引く雲井より 春立ちけりな天の戸の 明くる景色も閑にて 鶯誘ふ春風

                          (宴曲集巻第一 四季部「春」より)

今日は、第41回目の『月待ちサロン』

会場、栄松院は、明治・大正の文豪たちの息づかいが聞こえる文京区の寺町、

その一角へと、旅回りの一座よろしく衣装・鬘・小道具をつめこんだ、

小回りの利く、見てくれより実の軽自動車で向かう。

なんのことはない、現代版大八車。


浮き立つ春心を抱いて、車は東京の中心、江戸城跡の皇居にさしかかり、

お堀に囲まれ、毅然とした線をひく石垣を左に見とれながら、

ゆっくりと進む。

お堀に沿い、四間ほどのおおらかな間合いをとって植えられた、柳の若木。

その青柳の糸は、みどりこの生え始めの歯が頭ばかりのぞかせたほどかすかに、

やわらかな若草色の点をつらねて、おぼろの空にそよとなびく。


白山の坂の上、時の流れにさからうかのように静かに、懐かしく古びてたたずみ、

やさしくうっとりとした半眼で人々を見守り、西国浄土へと導きたもう

阿弥陀様にかしづく、栄松院の石門を抜けると、正面、本堂の前、

向かって左側からのびやかに枝をくつろげる桜も、ちらほらと三分咲き。


若い春を謳歌する桜との間に、ゆるやかに右へとまわる石畳をはさんで、

向き合って立つ梅の老木は、二階の屋根にとどかんとするほどの健やかな枝ぶり。

何も色味のない冬枯れの庭景色に、まづ第一に春を告げて、紅のぼんぼりを灯したように、

あたたかくあたりを照らしていたのに、今は、老残の花殻もほとんど枝を離れ、

目の前に誇るあでやかな桜に、その太夫の位を譲って、ひっそりと身を引き、

姿を隠してしまった。

花の移ろひの、潔く身の置き所をわきまえた見事さ。


そよやあらまほしきは梅が香を 櫻の花に匂はせて 柳が枝に咲かせてしがな

                         (宴曲集巻第一 四季部「春」より)

ひたと閉じたご本堂のふすまのかげに寄り、京びんのつぶし、襟返し、

褄を取ってしのび聞く、のどかにめでやかに、さざ波のよせては返す弓音のすすり泣き。


ひな鶴の声面白き 春の空      (藤植流鼓弓秘曲「鶴の巣籠」前唄より)


親が子を、子が親をよび交わす、藤植流鼓弓の秘曲「鶴の巣籠」。

奏するは、杉浦聡さん。


こきゅうというものは三弦、としか思いおよばず、初めて耳にする四弦の藤植流鼓弓は、

その用字にもいにしえの名残をとどめて、鼓の弓。

今の邦楽界ではもっぱら胡弓と記される。

三の糸が二本張られ、「ゴロ」という奏法の微妙な音のゆらぎが、

かそけく繊細な鼓弓の音色に、ふっくらとした情感をそえる。

伝える芸能者の数少ない藤植流鼓弓は、滅びゆくものの覚悟に腰をすえ、

おのれの道を独り悠然と楽しむといった風情。


弓音のさざ波がひろがり、その上を、おほどかな唄声が吹きわたり、

最期の一弓が弧をえがいて、めでたく弾きおさめる。


みどりいろ添う松風の みどりいろ添う松風の 

調べのどけき庭の面(おも)     (藤植流鼓弓秘曲「鶴の巣籠」後唄)


「胡弓を弾きながら唄えるものではありませんよ。」

賛嘆の響きをこめて、胡弓を奏でながら唄うことのむずかしさを、

地唄演奏家であり、三弦胡弓奏者としても活躍の場を持ち、

越中おわら風の盆で有名な八尾の里近くに生まれ、

ふるさとの盆に、風に乗って流れる胡弓を子守唄に生い育ち、瞽女唄や、

箏、三味線の古色ゆかしき組歌研究にとりくむ勉強家、吉澤昌江さんが、

くりかえししぼりだすように呟いた。


今日のこのうららな早春の一日が、月待ちサロンと栄松院さまとのお別れ。

風前に揺れるろうそくの炎よりも心許なかった月待ちサロンを、

手を取り、足を取り、ここまでおいでとあやすがごとく、

いつも変わらぬ慎み深い慈愛のお心で、お導きくださった栄松院さま。

おかげで十歳の春、重ねた歩みは四十一。


方丈さま自ら骨董屋で求められた、姿に静謐な品格を備えた唐金の燭台、

ゆるやかな緩急をつけて開始を告げる太鼓の音、 

お客さまがくつろがれる広間の床に飾られた仏画。

おおらかに生けこまれた季節のお花、

喉をうるほすお茶と、ほっと一息甘味なお菓子。

そしてくもりなく磨かれたガラス戸の外に広がる、手入れの行き届いた庭。

みな方丈さまとそのお母様とのこころづくしのおもてなし。


お二人の、やさしい春風のようなまなざしに育まれた一木一草は、

母親の静かに深い愛情に包まれ、健やかにすやすやと眠る幼子のように、

満ち足りて、平安な西国浄土の立ち姿。

慌ただしく騒がしい日常とかけ離れた、ゆかしい栄松院のたたずまい。


潔く質素に、そのなりにも言の葉にも、いっさいの虚飾と縁を持たない方丈さま。

お寺の中にひっそりと埋もれるようにして、栄松院を守ってこられたお母様。

お二人のお姿こそ、万巻の書をひもとく哲学者、

何千何万の信者を率いるカリスマ宗教者にもまさる、

私の心の師。


栄松院の阿弥陀様の前で、最期に舞わせていただいたのは、地唄「梅の月」。


はらりほろりと降るは 涙か花か 花を散らすは嵐の咎よ

いや あだしのの鐘の声           (地唄「梅の月」より)


梅は散りました。でも、また年がめぐれば、今を春べと咲き出します。

方丈さま、お母様、また梅を愛でに参りますね。


難波津に 咲くやこの花 冬籠もり 今を春べと 咲くやこの花

◆ 三月十八日(火)  沈丁花


沈丁花のかほりにふりむきました。

雨あがり、垣根沿いの細道。

赤みの深いつぼみがはじけて、

花弁が外へポンと音を立てたように

三角の先をそらせて

開いています。


沈丁の 咲きはじめたる 白さかな (立子)

 

◆ 三月十五日(土)  弥生なかば


面白や 頃は弥生の半ばなれば 波もうららに海の面 (地唄「竹生島」より)

霞み渡る朝ぼらけの中、海上をのどかに通ふ竹生島参詣の舟。


月海上に浮かんでは 兎も浪を奔るか 面白の島の景色や (謡曲「竹生島」より)

春の花やかな浮き立つ気分あふれる、謡曲「竹生島」。

弥生半ばも何日とは明らかにすることもなく、月影におぼろ。


孝安帝の御代の時 頃は三月十五日 … 

金輪奈落の底よりも 揺るぎ出たる島とかや (地唄「竹生島」より)

地唄「竹生島」では、三月十五日が竹生島の誕生日と、

潔く誇らかにうたいあげています。


シテ のう舟人 いまの物語は いつの事にて候ふぞ

ワキ 去年三月十五日 しかも今日に当たりて候  (謡曲「隅田川」より)


行方知らずの子を探し歩く狂女に、

突然白日のもとにさらされた我が子の命日。

能の「隅田川」。


低く地の底から湧き起こるが如き夜念仏の響き。

「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」

その中から、ふと風にはらりと吹かれた青柳の糸の

露の雫のように澄み渡る子供の声。

狂ほしい春の夜の湿った闇に、

ほの青白くかすかな影が浮かんでゆらめく。


思わずぞっと総毛立つ恐ろしさ、

浮き彫りにされる生と死との極み。

地謡と子方との、陰々滅々たる2部合唱。


東京隅田川の木母寺で、梅若丸追善供養の大念仏が

とり行われる梅若忌は、今の暦で四月十五日。

それにしても陰暦の弥生半ば、三月十五日は、

芸能に深い陰影を与えています。


何を自慢するとて才能はなし、財産はなしの私は、

ただひとつ、実は三月十五日に生まれました。

ひそかに晴れがましいこと。


弁才天は女体なれども 十五童子のその司 巌に御腰を休らへて 

琵琶を弾じておわします            (地唄「竹生島」より)


弁才天様にあやかれますように


◆ 二月二十二日  ケーララと梅の花


灰色の雲たれこめ、頬を切る風の冷たさ。

南インドのパラダイス、ケーララに別れを告げ、

三ヶ月ぶりに舞い戻った日本を寒気団がかかえこんでいました。

冬木立が風にふるえ、厚いコートのえりにあごをうずめて

急ぎ足で道行く人々。

雪空の底に沈んだ無彩色の都市、東京。


空高くそびえ立つココナッツの林。

木々は縦横無尽に枝を伸ばし、力強くいきいきとした造形の妙。

草木が生い繁り、豊かにあふれ広がる緑の中に、

黄や赤、白、水色、紫、ピンク…、咲き乱れる色とりどりの花々。

女性達の薄物のサリーは、蝶が舞うようにひらひらと

軽やかに揺れて美しい。

ああ、ケーララ。


重い屋根瓦の利休ねずみ色の町中を自転車で通り過ぎると、

ふとぼんぼりのあかりがこぼれて、馥郁とかほりたつ光の笠。

紅梅が今を盛と枝いっぱいに咲いています。

その横には、冷気を吸って肌を磨きたてたような白梅。

春にさきがけて咲く花の、凛とした気高い美しさ。

二もとの梅の木は、ふっくらとひそやかに、

インドでの一人暮らしを終えた私を抱いてくれました。


知られぬ梅の匂ふや 此の山里の春風に

松ヶ崎 散る花までも 雪は残りて春寒し  (綾子舞「小原木踊」より)


2002年
平成壬午歳

◆ 十月十三日(日) 宮城野


「宮城野という名です。仙台の萩です。」

盆栽の景道家元、須藤雨伯氏は、目を細めて、

その可憐な萩を眺めながらおっしゃった。

その瞳は、いとしいものを見つめる慈しみの光をたたえている。

一m程の高さの、えび茶色のうるし塗り台に置かれた、萩の盆栽。

秋風の通ひ路のように、なだらかな曲線を描き、

しだれた枝が、ゆたかなひとむらとなって、床の間に飾られている。


歌舞の菩薩の色揃へ 分けて全盛 宮城野が……


義太夫『碁太平記白石噺』の中でうたわれたあのおいらん宮城野も、

たしか仙台出身。


入相の鐘さへ早く 暮れ果てて 廓の中(うち)は 万燈會(まんどうえ)……


今は亡き名女流義太夫、竹本春華師の、あでやかな風格のある語りが

耳の奥によみがえる。

全盛をほこる吉原のおいらん宮城野は、実は、親の敵討ちのため、

仙台を立ち、吉原で身をやつしておいらんとなり、時機をねらっている。

そこへ、姉を探して、幼い頃に別れた妹信夫(しのぶ)がやってくる。

お互いにそれとは知らずに、姉の前へ妹が連れ出される。


だゝアや がアまに 様子あって……


信夫のおかしな田舎訛りの身の上話に、同輩衆が腹をかかえて笑うと、宮城野は、


申しお二人 浪花の芦も伊勢の濱荻 所々でかはる物云(ものいい)……


と、謡曲『蘆刈り』の一節を引いて押し鎮める。

夜ごと日ごとかはる枕のうきふし、遊女の身にありながら、にじみでる教養の高さ、

いつかは親のかたきを討ち果たさんという気丈さ、妹への情愛に涙する優しさ。

作者は、宮城野という女性を、歌舞の菩薩の中でも

とりわけ魅力的な理想の女性として描いた。

楚々とした風情の中のしなやかな強さ、

酒池肉林の官能の世界に沈みながら、

内から光がこぼれるような崇高な気品。

こんな女性に作者は宮城野という名をつけた。

萩の名が先か、義太夫が先か、私にはわからない。

しかし、萩と理想の女性とを結びつけたところに、

日本人の美への感性をみる。


「萩という花は、いつ咲くともなく、いつのまにか散ってしまいます。

この萩は、もう盛りを過ぎました。花に力がない。

咲きはじめは、もっと花に力があるものなんです。」

と、美しい女性に兆した老いを哀しむかのように、

お家元はおっしゃった。

水気を失ってしぼみかけた花や花がらが淋しげに残っている。

でも良くみると、

「ほら、この枝にはみずみずしい花と、まだつぼみさえついていて、力があります。」

出会いを待っていたかのように、最期の命の輝きを見せてくれる萩。

つるべ落としの秋に散る、名残りの萩とのつかの間の別れを惜しみながら、

移ろうものの哀れを愛でる。

「月と萩とうずら。この三つの取り合わせが、

日本人の美意識の一つの典型なんです。」

床の間には、お家元のおっしゃる通り、薄月を描いた墨一色のお軸。

その前に宮城野の盆栽。

かたわらの木彫は、丸い愛らしいつがいのうずら。


一つ家に 遊女も寝たり 萩の花

芭蕉の句には、人生の機微がにじみ出る。


秋萩の 花野の露にかけとめて 月もうつろふ 色やそふらん

月に萩、縁台にいこう二人の美女。淡い色調で描かれた鈴木春信の錦絵、

『風俗四季哥仙 仲秋』には、夢のような詩の世界が広がる。

   



いつしかも まねく尾花に袖ふれそめて われから濡れし つゆの萩

地唄『萩の露』は、男に捨てられた女のわびしさを、こよなく美しい音曲に昇華させた。

そこには、かそけくたたずむ女のような、名残りの萩が咲く。




そういえば、「萩の月」というお菓子もありんした。

ふわふわと黄色くて丸い、仙台の銘菓でありんすよう。


◆ 十月七日(水)  「月の魚」… わたしの見たゆめ


まん丸のお月さまが 空にのぼりました

月には 桂の木が生えていました

大きな立派な桂の木

美しい葉が茂っています

風に吹かれて ザワザワと 

音をたてています

月には 兎も住んでいました

まっ白な月兎

ピョンピョンとびはねています

疲れると 丸くなって眠りました

月兎は 丸く丸くなって眠ります

生まれたての赤ちゃんのように

指をしゃぶって眠ります

チューチュー

音をたててしゃぶりながら 月兎は

揺りかごにゆられている夢を

見ました

ユラリユラリ

桂の木の子守唄を聞きながら

ユラリユラリ

まん丸のまりのようになった月兎は

ユラリユラリところがりはじめました

チューチュー指をしゃぶりながら

ユラリコロリ ユラリコロリ

コロリコロリ コロリコロコロ コロリコロコロ

コロコロ コロコロ コロコロコロコロ

月兎は楽しくて

大きな笑ひ声をたてました

ワッハッハッハ

まん丸の月兎は

月の外に ポンと飛び出しました

そのとたん 

まん丸の月兎の体ははじけて

銀色の魚になりました

流線形の三日月のような月の魚は

月の光をあびて 

キラキラ 光りました

漆黒の宇宙の海を

スイー スイー

星と星の間を

スイー スイー

右に行ったかと思うと左に

上に昇ったかと思うと下に

身をひるがえし 泳ぎに泳ぎます

スイー スイー クルリツ

スイー スイー クルリクルリ 

はてしのない 宇宙の海

泳ぎに泳ぎます

スイー スイー クルリツ

スイー スイー クルリクルリ

月の光をあびて

キラツ キララ キラツ

光ります

あー いい気持ち

月の魚は 無限の海を

ノビノビ ノービーと

泳ぎました

ふと まわりが真っ暗になりました

今まで見えていた月も星も

見えません

真っ黒の闇の中

そこは不思議なトンネルの中でした

狭い狭いトンネル

細長い月の魚の体が ようやく通れるほど

ヌルリとした流線形の月の魚は

身をよじって 前へ進みます

シーンとした 暗黒の闇

トク トク トク トク

心臓の音だけが聞こえます

身をよじらせて

ヌルリ ヌルリ

月の魚は 少しずつ 前へ進みます

遠くの方に 丸い光が見えました

その光めがけて 月の魚は

身をよじらせました

遠くにかすかに光る 小さな輝きは

だんだん大きくなります

月の魚はますます身をよじらせ

進みます 前へ前へと

アクセル全開 スピードアップ

アップアップアップ

ゴー 音をたてて進みます

ジェットコースターのように

シュワーツ

光の洪水の中へ踊り出ました

そこは しあわせの国

「し」の光 「あ」の光 「わ」の光 「せ」の光

光のロンド

可愛い女の子が

トンネルから踊り出てきました

光のロンドの中で

お父さんも お母さんも

おじいさんも おばあさんも

ほほえみます

ほほえみの渦の中で

女の子もほほえみます

バラ色のほほには えくぼが二つ

しあわせ色の女の子の背から

羽根が生えてきました

その羽根は ぐんぐん大きくなります

七色に彩られた 虹色の羽根

虹色の蝶となった女の子は

フワリと飛び上がりました

高く高く 飛んでいきます

下を見ると

お父さんも お母さんも

おじいさんも おばあさんも

豆粒のように

小さくなりました

虹色の蝶は 空いっぱいに

広がります

雲のようにフワリと 

空いっぱいに広がります

ゆったり羽ばたくと

心地よい風が起こります

空いっぱいに広がったパラソル

世界中の恋人たちが

虹色の蝶の羽根の下で

いこいます

緑のそよ風に

愛をささやきかわします

仲の良い小鳥のように

空いっぱいの蝶は

いくつも いくつも

愛をはぐくみます

親鳥が ひなをだくように

世界中の恋人たちが

虹色のしゃぼん玉を吹き上げました

いくつも いくつも

しゃぼん玉が空に昇ります

世界中の恋人たちの 

虹色のしゃぼん玉が

空いっぱいに広がり

蝶も しゃぼん玉も

空も 雲も

七色に にじみました



魚座生まれのわたしが見た

夢のおはなし

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