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南印度 雑感その一   國弘正彦
03/02/13
 
去る一月十日、ケーララ州の都市トリチュール市を訪ねた。滞在先のイリンジャラクダ市からバスでの小旅行だ。まだ、夜明け前の薄くらい街のターミナルはたくさんのバスと人であふれている。印度風に飾られたバスに乗り込む。年中が真夏のこの地なのにバスにエアコンなどは無い。走り始めるとガラスがない窓からの風が心地よい。そこのけ、そこのけ、おバスが通るとばかりに、警笛を鳴り響かせメ一杯アクセルを踏み込んで朝焼けの街を飛ばす。
 
二、三の停留所ですぐにバスは満員になる。通学の学生生徒や通勤であろう乗り合わせた人々の異邦人を見るまなざしは優しく、また控えめな好奇心が顕れている。一時間ほどの満員バスの乗り心地は良いものではない。にもかかわらず、最新式のバスで、乗客が事務的に乗り合わせているような大都会での移動と違い、心がうきうきするような温かい気持ちになったのは旅行者の特権だろうか。
 
トリチュールに着く頃にはすっかり明るくなり、決してきれいとは云えない街が拡がっている。街並みはやけに土の印象が強い。ちょうど二年前に上方舞の公演で訪れた街だ。今日は市内の中心部にあるヴァダックンナータ寺院を訪ねる。もちろんヒンドウーのお寺で、そこにあるクータンバラムがおめあてだ。寺院の入り口で1ルピー(約3円)を払い下足を預け、裸足で中に入る。
 
クータンバラムは寺院に付属する舞殿で、そこでは南印度のサンスクリット演劇・クーテイアッタムが奉納される。大きな建物の中に安置されるがごとくにおさまっている。二世紀の演劇書「マーキャ・シャストラ」に記されている通りのものだ。重要な舞殿とあって、残念ながら中には入れない。建物の柵の合間から垣間見るだけだが、千年ともそれ以上ともいわれる歴史の重さを感じさせ、そこで神々に捧げた舞の荘厳さを想像させるに余りある舞台だ。
 
日本の能舞台の原型とも云われている。たしかに、舞台正面を神殿に向けた約6メートル四方の舞台からいろいろな装飾を取り除いたら、それに近いものになるだろう。八本ほどの彫刻を施した柱に支えられた屋根がかかり、そのなげしの四隅には想像上の聖獣「ヴィヤラ」を初めとして多くの神々のレリーフが飾られている。この賑やかさはこちらの風で、それをミニマイズして簡素にしたら能楽堂になるのかな、そうそう柱も半分の四本にして、などと南印度の舞殿と日本の能舞台の比較を楽しむ。
 
広大な境内に回廊に囲まれた一角がある。その内に、神々の数々の社がある。その内陣に入る際に、こんどは上着、といっても半そでのシャツだが、を脱がされる。裸は失礼ではなく、だんだん生まれた様子になるほうが、礼節に充ちているらしい。舞台では日本がミニマイズしたが、着る物では南印度がミニマイズしている。寒い北印度ではどうなのだろうか。
 
シヴァ神をはじめ、ヴィシュヌ神その他のお社をまわり、お賽銭を捧げ、この地に居られることを
感謝する。時代を感じさせる石造りの各お社にはそれぞれミニチュアのクータンバラムがあり、お寺や社とは一対になっているものなのかと一人で合点しきりだ。また、ご本尊にむかって沢山の五体投地のレリーフが石の床にはめ込まれている。お参りの善男善女は日常的にお寺に参拝しているがごとくで、勤めに行く前に寄った、といった風情である。レリーフのように五体投地で祈る人もみられる。
 
その一角に鉄でできた高さ50cmほどの小さな檻がある。中にはココナッツの実が外の皮を剥かれたかたちで数個転がっている。と、一人の参拝者がお賽銭をあげてから、その実を檻の中に叩きつけて割る。一瞬、静かな内陣にそぐわない音がする。おおくの参拝者は何事も無いそぶりである。するとその横に金属製のたらいのようなものがあり、水がたたえられている。みればカラスが水を飲んでいる。そのココナッツはカラスの餌なのだ。こんな神聖な場所でカラスに水と餌を与えている。いやこんな神聖な場所だから、なのかもしれない。
 
カラスに関しての聖鳥物語は世界中にあるそうだ。神武天皇に目指す方向を示したのも八咫カラスだし、シベリア地方の先住民族の神もまたカラスとか。サッカーJリーグのリーグ旗に三本足のカラスが納まっていると聞く(?)
 
印度の思想ではアヒンサー・不殺生が根本にある。その日常的な例が菜食主義だ。知る限り、ケーララのヒンドウー教徒は卵、魚を食せず、牛、豚の類はもってのほかだ。また酒を飲まない。輪廻転生を信じる彼らは、あの動物は自分の身内、先祖の生まれ変わり、死んだ爺さんかもしれない、として不殺生を守るという。敬虔に祈る彼らを目の当たりにすると、むべなるかなである。人すべて自然現象の手のひらの中、カラスも人もあったものじゃないと言い切るのだろう。
 
我ら日本人も仏教思想から、輪廻転生をイメージしているが、そこまで徹底してそれを信じているとは思われない。人間さまは別格、来世があってもまた、人間さまに生まれ変わる。今度こそもっとうまく人生をまっとうしよう、なんて半分現世利益的な考えに陥るのが関の山か。印度の高尚な思想も中華を経由すると、とかく彼らの現世利益志向によって薄められて日本に届く。もちろん奇特な方もおられるであろうが。
 
下足を返してもらい、お寺をあとにする。参道を下るとそこには同じ檻があり、たくさんのココナッツの実が砕かれて入っている。カラスがそれをついばんでカァー、カァー鳴いている。そうそう東京ではカラス撲滅作戦がいっこうにはかどらず、どうやらこの勝負、カラスに軍配が上がっている。なにかが狂っているみたいだ。
 
カラスに餌を与えているトリチュールではそんなにカラスが目立つわけでもない、予算と人を使って殺生に励む東京には、にっくきカラスが街中にいる。しょせんカラスも人々の生き方の照り返しなのかと思うことしきりだ。人間さまが食べ物を大量浪費して、大量投棄している限り、東京のカラスはいつまでも、悪役を卒業できない運命なのであろう。
 
遅い朝食をいつものように南印度風に菜食とティーでいただき20ルピーを払った後、トリチュールのバスターミナルまでの5分の距離を三輪オートを雇う。運転手は得意げに近道をしていると言う。18ルピーは近道代のチップ込みだ。途中、二年前に知ったと同じ横丁を発見し頬が緩んだ。5分おきに出るイリンジャラクダ行きのバスに乗り込み、また片道8ルピーのバスの旅がはじまった。楽しかったケーララの滞在も、今夜の日本への4000キロの空の旅でお開きとなる。

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