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ナヴァーラ 雑感      國弘正彦
 
1549年8月15日 カトリック・イエズス会のフランシスコ・ザビエルは同じ司祭(パードレ)の資格を持つドルレスと修道士フェルナンデスとともに鹿児島に上陸した。時は戦国時代末期。二人を平戸に残して、ザビエルは都に上りキリスト教の布教を試みたが、戦乱の世のこととて日本での活動を諦め、いったん中国大陸に渡ってしまった。
 
1552年12月 日本での初めての聖歌の歌唱を含む「歌ミサ」が山口での降誕祭で執り行われたとの記録がある。1556年7月イエズス会インド管区長のヌーメスがヴィレラ司祭と修道士とともに来日し、その際、彼らは単旋律聖歌集とポリフォーニ聖歌集を含む100巻の書物を持参し、日本でのカトリック布教の原典とした。
 
長崎県を中心に、イエズス会によって伝えられたキリシタンの歴史があるが、今もそれを受け継ぐ、五島、外海と平戸、生月の二系統の隠れキリシタンの信仰がある。多くの弾圧にあいながら、戦国時代より連綿とその伝統を守っている人々がいる。彼らの礼拝儀式は16世紀当時の布教によってもたらされた形がそのまま純粋培養的に伝えられているものだ。
 
彼らが “おらっしょ” と呼ぶ毎月1回の礼拝はラテン語のOratio(祈り)に由来するという。“神寄せ” から始まる “おらっしょ” は神父の代役たるおじさま(慈悲役)が取り仕切る約35分の礼拝だ。“おらっしょ” の式のなかで聖歌 “らおだて” “なじょう” “ぐるりよざ” の三曲が歌われる。ちなみに、“なじょう” はグレゴリオ形式の聖歌でルカ(聖ルーク)による福音書第二章にあるシメオンの聖歌だが、この “ぐるりよざ” の出所はスペインのローカル聖歌、ルネッサンス時代の聖マリア聖歌 “O Gloriosa Domina” である。云うまでも無く、日本でのカトリック布教の最初期に伝えられた聖歌である。
 
1545年から1563年までトレント市で続けられたトレント公会議でそれまでいろいろな様式で行われていたミサの形式を式典はローマ・ミサ典書で統一し、聖歌はローマ式グレゴリオ聖歌とした。ヨーロッパ各地より新しい世界にカトリック信仰の布教活動を拡げていたため、ローマ法皇庁はそのミサや聖歌を統一する必要があったのだ。
 
“御前様” というご神体。それには、洗礼者ヨハネを指すちょんまげ姿の男性とヨルダン川を暗示する川、首を切られることの象徴である椿の花が描かれている。ご神体を前に、16世紀中ごろのスペインの一地方のミサ形式を残す隠れキリシタンの“おらっしょ”の静かな祈りの時が過ぎてゆく。
 
2002年7月28日 ガリョ氏の運転する車に川端真砂子さん、吉村桂充さんと同乗し、ナバーラ州の州都パンプローナ市から一時間半のドライブでザビエル城を訪ねた。岩山にそれこそ岩が生え上がったような、堅牢なつくりの小城だ。435年前ここの住人フランシスコ・ザビエルは遥かな地日本に布教活動のためにやってきた。彼と彼の仲間が伝えたカトリックの教えと典礼の原型の一部が今もって日本の僻地にひっそりと息づいているという。
ザビエル城を前に今に続く歴史をさかのぼり、想いをめぐらした。

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