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<フェスティバル参加への道のり>
初めてフェスティバル参加の打診を受けたのは、2年程前になる。
上方舞友の会会員の日本人陶芸家を通じて、マドリッド在住のコーディネーター、川端真砂子から吉村桂充ヘ照会があった。
参加を希望し、ビデオ等の資料を送った。
2001年4月には、川端真砂子がご主人のGallo氏と一緒に来日。
私達の公演「舞散華」を南蔵院(板橋区)まで見に来て下さった。
曲目は地唄の「鐘が岬」と「珠取海士」。
気に入って下さり、参加実現に向けて、翌日話し合いが持たれた。
その頃は、参加候補として、私達上方舞友の会の他に、和太鼓、雅楽、一人語り、一人芝居、墨象パフォーマンス、美術、工芸の方達がノミネートされていたとのこと。
その後、内容や予算の事情により、フェスティバル主催者の厳しいふるいにかけられ、結局最期まで残ったのは、私達上方舞友の会と、墨象パフォーマンスの松田朴伝だけになる。
弱小な私達がフェスティバルに参加できたのも、助成してくれた各機関のおかげ様と、深く感謝致します。
助成申請書は、とんと世事にうとい吉村桂充が、知恵を絞りつつ必死で作成。
なんとかして多大な費用を捻出して、みんなで揃ってスペインへ行きたい、との一心。
神様は、哀れな河原乞食の願いを聞き届けて、なんと3つの公的機関からの助成をお与えくださった。
フェスティバル主催者から情け容赦もなく切り捨てられた方々への取りなしに、川端は大変苦労したようだ。
川端本人に責任はないのに、ひどいことも言われたとのこと、さぞ心を痛めたことでしょう。
私達も川端にかなり無理なお願いをし、苦労をおかけした。コーディネーターとしての川端の無私の尽力に甘えて、私達のフェスティバル参加は実現した。
上方舞友の会は、主にEメールで、川端と何十回となく交信し、少しずつ内容を詰めていった。総務の國弘正彦と吉村桂充とがパソコンとにらめっこ。
スペインとのコミュニケーションはどうあるべきか、口角泡をとばして話し合いながら、送信文をつくった。何度喧嘩したことか。
他のフェスティバル参加団体は、途中からフェスティバル・コーディネーターとなったYolanda Osésの強い意志の元に選抜された。
その中で、上方舞友の会が、オープニングのメイン・イベントとしての公演を依頼されたのは、とても光栄なことである。
会場も、当初予定されていた室内劇場SALA DE ARMAS(400席)から、城壁舞台ESCENARIO DE LA MURALLA(1200席)に変更された。
上方舞や三曲演奏の場としては室内劇場の方がふさわしいと当方は主張したが、多くの人に見て貰いたいという、フェスティバル主催者の意向である。
大がかりな舞台を充実させるために、海外公演の経験豊富な舞台監督と照明家に同行をお願いする。
照明は、野地晃に打診したところ、舞台監督を付けることを条件に、とりあえず了承して貰う。
舞台監督には、鈴木慎介を希望したが、あいにくスケジュールが合わない。他にも何人かたずねるが、皆スケジュールの調整がつかない。
苦肉の策として、鈴木慎介の提案で、照明の野地晃に舞台監督もつとめるよう頼むことになる。
鈴木慎介の口添えで、プロとして責任ある仕事をと願う野地に無理をお願いして、舞台監督も兼務して貰うことになった。
野地の助手として、桂充の弟子、平野悦子を同行させることにした。
しかしこのことは後にやはり職人気質の野地の機嫌を損ねる原因となり、多大な迷惑をかけた桂充は、怒り心頭に達した野地の激しい叱責の矢面にたたされることになる。
鈴木慎介には、日本で舞台図面を作成してもらい、床木の見本を添えてスペインに指示を出して貰った。
このおかげで、現地の舞台関係者との交渉がはかどり、美しい舞台を作り上げることができた。
今回途中から参加となり、フェスティバル主催者の招待枠とは別に参加して貰ったのが、今は日本に住んでいるグアテマラ出身の語り部、アベル・ソラレスだ。
彼の日本の伝統文化に対する知識と理解は、日本人のその道の人達も舌を巻くほど。彼に公演やワークショップの折、スペイン語による解説をしてもらうことにした。
彼の日本語は日常の用がたせる程度。けれどその飽くなき探求心、向学心で、連日図書館に通い、英語、独語、仏語の文献を探しまくって勉強して来るのだ。
そして「ベンキョウシテクダサイ。」と言って、大きな目でじっと私を見つめる。
彼の本拠地はオーストリアのグラーツ。奥さんは、オーストリア人。彼の演劇の先生はマドリッド在住。そして彼自身は、南米やアフリカの芸能が大好き。
私は、そんな彼から、グローバルな生き方を学びたいと願っている。
今回のフェスティバル参加で残念なことは、当初参加予定で、公演の企画・制作の中心となった吉澤昌江が、やむを得ぬ事情から、参加できなくなったことだ。
今まで2回、当会の海外公演に参加して支えてくれた彼女がいないことは、穴があいたように淋しいことだった。
出発を約2週間後にひかえた7月初旬。降って湧いたように、ビザ申請の話が飛び込んできた。
普通ヨーロッパ旅行にビザは必要ないはず。首をかしげていると、今度はスペイン大使館の領事部から、
「いつになったら申請に来るの。至急来てください。」との催促の電話。
寝耳に水のビザ申請。とにかく言われたとおりに、大慌てで書類を取り寄せ、団員皆にサインをもらうため、郵送。時間がないので、確実に翌日到着する宅急便を使用。
書類をパスポートと一緒に返送してもらい、10人分全部揃ったところで大使館に提出。
領事部の話では、フェスティバル参加のため団体で行動する場合はビザが必要になるとのこと。
全部提出できたと胸をなでおろしたのもつかの間、
「アベル・ソラレスはスペインからの招待者リストに載っていない。これではビザが出せない。彼への招待状も取り寄せて下さい。それも原本でなければだめ。それがなければ彼へのビザどころでなく、全員のビザも降りなくなる可能性があります。」
とのきついお達し。
今までスペインに行きたい一心で頑張って来たのに、あともう少しで、スペイン行き切符が手に入るのに、なんと全員が行かれなくなるかも知れない。
川端と相談したいけれど、今スペインは丑三つ時。いくら何でも、電話はかけられない。何とかしてアベルの招待状を手に入れねば。
私はパソコンに向かい、フェスティバル主催者宛嘆願書を打った。これを川端に送り、スペイン語に訳して伝えてもらうつもり。
目は血走った。やがてスペインも夜が明け、夜更かしの人も起き出した頃、ようやく頼みの綱、川端に連絡ができた。
「これこれしかじか、使いますアベルの招待状をもらって下さい。」
「それはできません。だってアベルは招待されていませんから。」
「ウーン。ごもっとも。」
ここで冷静になった事務局國弘は、正解を得た。
アベルは手続き上、団体からはずし、一人の観光客としてスペインへ行く。
ピン・ポーン。
アベルは他の誰よりも早く、パスポートを取り返しました。
7月18日(木)ビザ取得最終期限の前日。
午前中大使館に取りに行く。まだ降りない。万事休す。その時、救いの神、現る。
「別の方法でビザを出しましょう。午後また取りに来て下さい。」
なんとありがたい、夢のようなお告げ。そんな方法があるなら、最初からそれにしてほしかった。
とりあえずビザ狂想曲は、オ・ワ・リ。
取り返したパスポートと旅券を皆にまた発送する用意をしながら、心はバラ色のスキップ。
翌日舞の稽古に通って来た平野悦子にパスポートと航空券を意気揚々と渡した。すると航空券の名前が旧姓のまま載っているとのこと。
たしかパスポートの名前とサインは、旧姓の平野のまま。
「それでいけないの。」と聞くと、
他のページを開き指さした先に、結婚後の姓、箱田が書いてある。
飛行機は、名前が違っていると乗せてくれない。その点は厳密とのこと。そこへちょうど顔を見せた國弘が
「これは自分の責任だから何とかやってみる。」と頼もしく言ってくれた。結局午後になって旅行代理店の協力を得て、再発行してもらうことができた。
やれやれ。
そんなこんなでいろいろあったけれど、
総勢10名の「上方舞・デ・ナバーラフェスティバル2002」の一行は、パンプローナへと飛び立つことになった。
第1日目 7月22日(月)
出発 東京→マドリッド(アムステルダム経由)
マドリッド泊
09:30 成田空港 集合
12:40 成田空港発 JL411
17:45 アムステルダム スキポール空港着(日本時間)
20:15 スキポール空港発
23:00 マドリッド バラハス空港着
23:30 空港よりホテルへ移動(バス)
23:50 ホテル到着
24:00 解散
午前9時30分、日本航空のカウンター前に、団員10名のうち9名集合。
残りの1名冨田康子は、名古屋空港から国内便で成田へ来て、そのまま外へ出ずにチェックインとなり、私達の乗る国際便に乗り継ぐことになっている。
超過手荷物が、100kgもあり、多大な料金がかかることが判明した。何とか安くして
もらえるよう、日本航空の担当者にお願いする。
「では、東京→アムステルダムの日本航空使用区間のみ、50kg分サービスいたしましょう。」しかたがないという憐れみの表情を浮かべてのたもうた。
何と云うことはない、通常では一人当たり5kgの超過は認めている。5kg×10名=50kg。そのくらいの計算私にだってできます。そんなにもったいぶることはないのに。
アムステルダム→マドリッド間はイベリア航空となるので、日本航空の担当者が勝手に割引をすることはできないとのこと。
正規の超過料金を支払うこととなる。
泣く泣く総計約35万円の超過料金をクレジットカードで支払う。
國弘の立て替え。彼にはすでに300万円程の立て替えをしてもらっている。
彼の嘆くこと嘆くこと。あちこちから借金をして今回の活動資金を作って来てくれた。
「もうスッカラカンだよ。」とべそをかく。
本来なら上方舞友の会が、資金を調達すべきところ、彼におんぶにだっこ。
彼はますます痩せるばかり。早く少しは蓄えを持つ会へと成長したい。
それから、公的な助成機関へお願い。
お金がないから助成をお願いしているのに、なぜ助成金が出るのは活動のすべてが終わってからなの?
活動の前にいただけるのは、唯一国際交流基金だけ。
出発1週間ほど前に頂いた助成金は、灼熱の太陽にさらされた焼け石に降り注ぐ、甘露の慈雨でした。
他の助成機関さんも、なんとか助成金が活動に直接使えるよう、事前にお与え下さい。
システムの改良をご検討の上、なにとぞ河原乞食の切なる願いをお聞き届けくださいますよう、お願い申し上げます。
ゲートで冨田康子が合流。10名全員が揃う。
アムステルダムまでは約12時間の空の旅。
客席はほぼ満席。飛行は順調。
椅子に沈みこんで眠るアベル。彼は前日徹夜でパソコンを打ち、勉強していたとのこと。野地もビールを飲んでぐっすりお休み。桂充も口を開けて眠りほうけていたとのこと。
一眠りして元気になったアベルは、公演の折の資料集めをはじめる。
衣笠に、三曲演奏会の曲目解説、楽器の説明について質問をしている。
二人が一番手こずっているのは、「ぐち」。
『囲われ者』という存在に触れなければならないけれど、スペイン語でなんと説明したらいいのか。
まず衣笠の日本語をアベルが理解するのも一苦労。
なんといっても日本の現実社会にさえ今は無き昔の風情。
しかも和歌をつづるように、ひとつひとつの古語に秘められた深い想い。
歌詞の持つ美しい言霊の響きをどれほどの日本人が、今味わい楽しめるのか、それさえ心もとない。それをラテンの陽気者アベルに感得してもらうには…。
必死に衣笠の説明を理解しようとしていたアベル。
はたと手を打ち
「三角関係」(Trianqulo de Amor)と言えば、スペインの人100%わかる。と嬉しそう。
「男(Hombre)・奥さん(Esposa)、男・恋人(Amante)。それから、女(Mujer)・主人(Esposo)、女・恋人(Amante)もあります。」
ウーン、本当はそれとも微妙に違うけれど…。
自由恋愛のそれとは違い、経済的な束縛がからんでいるのが『囲われ者』
その複雑な心理の綾まで説明することは、至難の技。
「三角関係」論争の後、アベルは私の耳元にさりげなくつぶやいた。
「時々、男の恋人は男のことあります。女の恋人、女のこともあります。」
私たちが赤面するようなことを人前でのびやかに謳歌できるラテンの人、アベル。
天真爛漫、おおらか、その無邪気さは彼の魅力。
けれどそんなアベルに、地唄「ぐち」に描かれた世界の、ひそやかな睦言の鬱々とした気分、埋み火のような切ない情愛の炎、そんな細やかな心の陰影を理解せよというのは、とうてい無理な話。
そんな女のぐちな心を己の中に感得してほしいと願うのは、彼にとって煉獄の枷をはめられるように耐え難く、許し難いことに違いない。
しかし上方舞こそは、その微細な感情の揺れを最も味わい深く表現しようとする芸能。
私は、アベルを解説者に選んだことに、一抹の危惧をおぼえた。
アベルが、「この文章面白いです」。と言って、英文のコピーを見せてくれた。
タイトルは、“THE CHARMS OF KAMIGATA-MAI”。
内容は、井上流の人からの聞き書きが中心で、上方舞そのものの魅力と言うより、井上流について聞いたことを安易に書き記したに過ぎない。
もっと上方舞について深い洞察をしたものでなければ、この英文のタイトルにはふさわしくない。
アベルがこの文章を読んで上方舞を理解した気持ちになったとしたら、こわいことと思う。
他国の文化を理解しようとする時、アベルはまず頭で理解しようとする。
連日図書館に通い、文献を探して読破する。
日本文化について彼が集めた知識は、無尽蔵と言ってもいいほど、幅広く、深い。
しかし、その彼のたたずまいが日本的かと言うと、決してそうではなく、あくまでもラテンの人。日本古来の慎ましさ、静けさ、と言ったものは全くもちあわせない。
彼はどうも日本文化を学ぶのに、その精神を学ぼうとするより、まず知識の収集、次に技術の修得に終わってしまっている。
技術の修得についても、短期間に合理的に修得しようとするから、その方法論としては一見素晴らしい成果をあげるが、決して深いものは得られない。
外国人としては目を見張るほどの日本通だが、すべてうわべだけの理解を越えていない。
最も本人にとっても、日本文化は、彼の表現の幅を広げる1つの素材にしか過ぎないのだろうけれど。
アムステルダム、スキポール空港に到着。ここで乗り換えの飛行機を待つ。
東京空港を飛び立ってから12時間あまり、太陽を追いかけて飛んで来たので、こちらの時間でまだ17:45。
出発予定が約1時間遅くなり、20:15に変更となった。
この空港は、世界で最も大きな空港の一つ。
動く歩道の出口では、アナウンスが何か注意してくれているが、オランダ語なのでちんぷんかんぷん。
「オランダ語は難しい。」とアベルが言う。
私達の後ろに座って待っている家族は、オランダ人だった。
「これからマドリッド経由でアルヘンティーナ(ブエノスアイレス)ヘ行き、Vacaciónesを楽しむ。」とのこと。
スキポール空港を出発して約2時間45分。
マドリッド空港に到着したのは、スペイン時間の午後11時だった。
全員無事到着。荷物もみな無事到着。
マドリッドとパンプローナの往復の交通と、マドリッドでの宿泊・アシスタントの手配は、川端が、マドリッドの旅行会社セーフウエイ社(Safeway s.a.)に依頼してある。
空港には日本人アシスタント大倉万理子が出迎えてくれた。
身長170cm近く、ヘア・スタイルはショート・ボブ、すらっと姿勢のいい、パンツ姿の颯爽とした人。
きょろきょろしている私達を手際よくまとめる。まるでカルガモの行列。
貸し切り大型バス(50人乗り)に荷物を乗せ、一行10名と大倉が乗り込み、マドリッド市内へと向かう。
20分程でマドリッド市にはいる。
静かな夜の街並みをゆっくり進んでいくと、パリの凱旋門の様な石造りのどっしりとした門が闇に浮かび上がる。
ほどなくHOTEL WELLINGTON(ホテル ウエリントン)に到着。
当初川端がホテルで出迎えてくれる予定だったが、飛行機が遅れたので今夜はみえず、明朝8:30に来てくれるとのこと。
ロビーで部屋のキーを配り、大倉が、注意事項を話す。
1.チップ:各自ベッドの枕の上に、1.5〜2ユーロ置く。ポーターには、明日、川端が一括して渡す。
2.明朝出発までホテルの外へ出ないように。マドリッドでは日本人相手の強盗団が多い。日本人は金持ちと思われている。特にこのホテルは日本人客が多く、彼らが目を付けている。
3.朝食は、ロビー階のレストランで、7:00より。
4.明朝8:00部屋の外に荷物出し。9:00ホテル出発。
マドリッドは日本人相手の強盗が多いとは聞いていたが、大倉の注意に一層身が引き締まる。
このホテルは大きくはないけれど、歴史をかんじさせる。
ドアも取っ手も重厚。部屋は広々としたツインで、シンプルなデザインの椅子やテーブルは、時を経た暖かみを感じさせる。カーテンやベッドカバーの縞模様は、落ち着きのある華やぎを部屋に与えている。
テレビを付けると、“Welcome KAMIGATAMAI-TOMONOKAI”と映し出された。
下の荷物置き場に入れてしまった身の廻り品を取りに行く。
アベルが一緒にきてくれて通訳をしてくれるので、大助かり。
ホテルマンでも、英語が通じにくい。
ロビーには、今ホテルに着いたばかりと言うような一団がいた。
都会的なファッションの彼らは、10代後半から20代にかけてと思われる若者達と、気品のある初老のご婦人。
乙女達は肌もあらわに、体の線をぴったりと描きだす服。長く美しい黒髪。彫りの深い顔立ち。
バラのつぼみが開き始めたというような香りを放つ彼らに、アベルは目を丸くし、
「アララララ…。ボニータ。」を連発した。
中にひとり、まだ10代と思われる、大人になりかけというような青年がいた。
髪をオールバックになでつけ、真っ白なシャツの襟を立てている。
ギリシャ彫刻の様に額からまっすぐに秀でた鼻筋。
私は、ああスペインに来たのだと、初めて強く感じた。
豪華な石のバスタブに身を横たえ、旅の疲れを癒す。
シャワーの位置、大きさ、何もかもがヨーロッパサイズ。
気分もゆったりと大きくなる。
第2日目 7月23日(火)移動
マドリッド→パンプローナ会場下見
打ち合わせ
07:00 朝食
08:00 荷物出し
08:30 川端夫妻と再会
09:00 マドリッド出発
10:30 小休憩
10:40 出発
12:20 ソリア到着 休憩 軽い昼食
12:55 出発
14:50 パンプローナ市入り
15:30 ホテル到着
17:00 ホテル出発 会場下見へ 舞台打ち合わせ
20:00 ホテル帰館
21:00 ロビー集合
21:15 レストランへ出発
23:50 ホテル帰館
朝食はビュッフェ形式。パンがとてもおいしい。
朝から日本では食べられないよう様な高級生ハムやソーセージ、果物もとても豊富。
バナナやりんご、桃など。日本のもの程甘みはないが、身がひきしまっていて、より自然に近い感じ。
レストランは広々としていて、とても天井が高い。
壁には神話を描いたタペストリーが飾られ、広い部屋を丸くぐるりと囲んでいる。
天井の中央からはシャンデリアが下がり、そのまわりは丸いガラス張りの明かり取りになっている。
蝶ネクタイのボーイさん達が、にこやかに給仕をしてくれる。
おいしいものを食べてゆったりと過ごすと、おもわずほほえみが浮かんでくる。
パンプローナには、着物姿で向かうことにする。
フェスティバルのパンフレットのデザインは、まさに『ふじやま・芸者』。
スペインの人たちが待ちこがれている日本の女を演じなければ…
それに、一生懸命に上方舞と桂充とをフェスティバル主催者に売り込んでくれた川端の顔も立てたい。
荷物を整理して8:00きっかりに部屋の外に出しておく。
2〜3分してのぞくと、もうない。いつの間にか持っていってくれた。
このホテルのボーイはとても時間に正確。
ロビーに降りていき、川端と約1年3ヶ月ぶりに再会。
全員集まって自己紹介をする。
ご主人のガリョは、今夜マドリッドに到着する松田朴伝と行動をともにするため、今日は見送りのためだけに顔を見せて下さった。
50人乗りバスにゆったりと乗り込む。乗客は、川端が加わって11名。
これから約6時間半のバスの旅。
マドリッドは薄曇り、湿度55%。パンプローナは雨とのこと。
川端がマイクを握り、ガイドをする。
「バスはホテルを出発して、市のやや北部を行きます。このベラスケス通りを行き、空港の側を通り、バルセロナ方面へ向かいます。」
マドリッドは今、日本のバブル時のように建築ラッシュ。
クレーン車があちこちに立っている。
窓の外に流れていく建物は、みなそれぞれに美しい。壁の色は柔らかに、スペインの土や空と調和している。デザインは、気取りのない、おしゃれな遊び心に満ちていて、美しいかざり模様にふちどられている。
「美しい。」と、思わず賛嘆の声をもらすと、
「あれはアラブがはいっているんです。」と、川端が教えてくれる。
スペインは一時アラブに支配されていたので、今もアラブ文化の影響が色濃く残っているとのこと。
そしてそのことは、スペイン文化をより一層豊かで魅力的なものにしている。
スペインの交通事情としては、最近スピード違反の取締りが厳しくなったとのこと。若い人は、お酒と麻薬を飲んで運転する人が多いとのこと。
麻薬は日本と違い、比較的自由に手に入るらしい。
最近スペインに来る日本人観光客がとても減ったとのこと。
それは、外務省の海外安全情報により、スペインでは日本人相手の首締め強盗が多いという情報が流され、日本の旅行会社がスペイン旅行を薦めなくなったため。
しかしこのことは、日本人は国際的にボヤボヤしている人種だということを立証している。海外では、“物を盗られるのは、盗られた奴が悪い。”というのが常識。
治安が行き届き、言わなくても分かるでしょとばかり、以心伝心を美徳と誤解して、誠実なコミュニケーションを怠る日本人。うまし瑞穂の島国育ちの私たち日本人は、いまだに鎖国状態の中にいるように、他国の人との交流に不慣れ。
日本人ばかりのツアー旅行でいくら海外を観光しても、真の国際人にはほど遠い。
「日本人は、国際的なおのぼりさん。」と言われないようにしたい。
日本人観光客は減っても、夏のヴァカンスには、ヨーロッパ各地から観光客がやって来るそうだ。スペインの人口は4500万人。観光客は5500万人にもなるとのこと。
カメリア諸島やマジョルカ諸島には、イギリス、フランス、ドイツから、チャーター機で観光客がおしよせる。
川端に、マドリッドでは素晴らしいホテルに泊めていただいたことに対して、お礼を申し上げる。
あのホテルはとても古くていいホテルで、最近改装したばかり、とのこと。
旅の疲れを取るには、ゆったりとした部屋をとのご配慮に感謝する。
川端は、20年ほど前から、日本とスペインを結ぶコーディネーターの仕事をしている。
イレブンPMの人気コーナー『世界の車窓から』の撮影クルーや、新聞の絵画や文化の特集のための取材班、世界遺産に承認されたスペインのローマ時代の遺跡を取材に来たNHKのクルーなどの世話をずっと続けている。
その苦労をいろいろと語ってくれた。
重いカメラを抱えたクルーと一緒に野山を歩き回ってクタクタになったり、無理なことを言われて泣いたことも何度も…、と伺った時、私たちも無理なお願いを日本から通信して泣かせたのではと、一瞬ドキッとする。
宇宙飛行士の向井千秋がスペインに来た時もご案内をしたそうで、彼女はタパスがとてもお気に入りとのこと。
スペインの田舎の景色は、乾いた赤茶色の土の色が多い。緑も所々にあるが、黒っぽい緑をしている。日本に比べると、ずっと乾燥している。
日本は湿り気文化なのだと、改めて気がつく。
これでも今年は雨が多かったので、緑がきれいなのだそう。
特に、今は雨の多い時期。
窓の外に黄色のひまわり畑が広がる。
こちらでは、ひまわり畑のツアーが人気とのこと。
ソフィア・ローレン主演の映画『ひまわり』を思い出す。
やがて丘の上に立つ黒い牛の看板。鉄でできている。
この牛は闘牛用の牛。アンダルシアのブランデーの看板とのこと。
全体真っ黒に塗りつぶされていて、何の看板か聞かなければ分からない。
川端は、「この牛を見ると、スペインへ帰って来たという気がする。」としみじみと言った。
時々、ローマ時代の遺跡かと思うような、風化した土色のお城のような固まりが窓をよぎる。草木が1本もない遠くの丘の上にそんな小さな塔を見つけた時、
ドン・キホーテとサンチョ・パンサがこちらへ向かってやって来るのがはっきりと見えた。
最近スペインでは、風力発電に大変力を入れているとのこと。
現代版風車の瀟洒な姿が立ち並んでいるのを度々目にすることができる。
ドン・キホーテは、現代版風車にどんな戦いを挑むだろう。
それにしても、地球の危機、温暖化に対抗して、自然のエネルギーを活用しようと努力しているスペインに、頭がさがる。
Bar(バル…気楽に立ったままで飲んだり、小皿料理をつまめる店)で休憩。
レモン水を注文する。
川端は『コロ』
「これはコーヒーとミルク。これが好きなの。」と言って、カップを持ち上げた。
コーヒーとミルクが半々ずつ入っているらしい。ちなみに、コーヒーだけの物を『ソロ』と言うと教えて頂いた。
街道沿いのBarでの小休憩は、初めてじかに触れたスペインの庶民生活。見知らぬ土地の人と同じ物を飲み、同じ椅子に腰掛けて、同じ時を過ごす。スペインの人達は、何事もなく受け入れてくれている。平和なひととき。
バスの旅は続く。スペインにはローマ時代の遺跡がたくさんあるとのこと。みな旅の疲れでお休み。
休憩と軽い昼食を取るためにバスを降りる。
アベルだけは、バスの中で眠り続けている。彼は、ほとんど1日1食。夜にドカンとたくさん食べる。朝は、ほんの軽く。昼は食べない。それでよくあんなに固太りの大きなおなかになれる、と感心してしまう。
ここのBarでは、フレッシュ・オレンジ・ジュースを飲ませてくれる。みな揃って注文した。
アル中?野地、國弘はビール(Ambar)。
隣のレストランはまだ開いていない。スペインは昼の食事は、13:30から。
レストランはその時刻にならなければ開かない。
Barでサンドイッチを作ってもらう。ハムとチーズのトーストサンド。
厚くカットした耳付きパン2枚にはさまれた、大きな熱々サンドを両手で持ってかぶりつく。
川端が、「本当はナイフとフォークを使ってカットしてたべるんです。」と教えてくれた。
私も生まれて始めて、サンドイッチをナイフとフォークでカットして食べてみた。
内心はかぶりつきたかったけれど。
Barの外の店で、清野がアイスクリームを買っている。ナッツ入りで1.20ユーロ。
おなかもふくれてバスに乗り込む。
運転手の名はアントニオ。
今まで眠っていたアベルが起きだし、バスのまん前、アントニオの横に陣取り、スペイン語でおしゃべりを始めた。
その表情の豊かなこと。さすが俳優。人の視線を引き付けるエネルギーを持っている。
川端もその豹変ぶりにびっくりし、
「朝ホテルで見た時は、全然おしゃべりをしないでじっとしていたので、あんな静かな人では困る、と思っていたけれど、本当はおしゃべりなんですね。」と笑う。
アベルが静かだなんて、それはただ疲れているか、眠いだけ。
自分の本能に忠実で、マイペース路線を決して踏みはずさない彼は、疲れて眠い時には、誰が居ようと、何があろうと眠りのモードに入りこんでしまう。
やがてエネルギーをためた彼は、人一倍にぎやかな活動を開始する。
アベルとアントニオの話はいつまでも尽きない。私たちの前に続く道のように。
やがて川端にまで飛び火をし、三つ巴のにぎやかなスペイン語会話が転回していった。
バスのルートは、国道N−122/国道N−103/高速A−15、一路北へと向かっている。
途中道路に沿って鉄道が1本走っていた。
草の中に埋もれかかり、錆びついたような線路。スペインでは、鉄道はあまり整備されていないとのこと。
とうとうバスはパンプローナ市に入り込んだ。パンプローナは雨あがり。
美しい色に彩られた5階建て位の建物が、ひしめき、肩を寄せ合うようにして立ち並んでいる。
時の流れに風化された壁の色は目にやさしく、旅人を暖かく迎えてくれる。
ローマ時代からの歴史の重みと、地方都市の素朴さをあわせ持ったパンプローナ市は、滋味豊かな魅力に満ちていた。
会場の城塞CIUDADELA(シウダデラ)の石垣が見えてくると、街はフェスティバルの浮き立つような気分になってくる。
それを演出するのが、例の「ふじやま・芸者」のイラスト。
パンフレットの表紙に使われている絵が、4m程の巨大なのぼりとなって、街のいたるところにはためいている。

スペインの人たちが、ハポンを待ちわびている。
日本に対する好奇心と親愛の情が伝わってきた。
住宅街の建物の列の間は、ゆるやかなカーブを描くなだらかな坂道となっていて、テレビで見た、1週間前の牛追い祭り(San Ferminサン・フェルミン)の光景が目に浮かぶ。
ホテルの少し手前でバスを降り、石畳の坂道の、人一人がようやくすれ違える程の細い歩道をホテルに向かう。
川端がふと立ち止まって、向こうからやってきたショートカットのボーイッシュな女性と話しをはじめた。
にこやかに白い歯をみせて笑っているその女性が、Yolanda Osés(ヨランダ・オセス)。
なみいる参加予定団体をバッタバッタと切り捨て、自分がパリへ行ってさっさと新しい団体をひっぱって来た人。
こわもての気難しそうな人を想像していたが、まだ30代半ば位のあどけなさの残る快活な女性。
よく日に焼けたこげ茶色の肌。眉は強い意志を示すかのように、ブラシのように硬く濃く、目の上に太い隈取を描いている。
私は、フェスティバルにお招きいただいたことへの感謝の意を申しあげた。
ホテル・マイソンナベはこじんまりとした質素なたたずまい。
フロントの右奥のつきあたりがレストラン。左側には1段下がってBarがある。
それぞれ部屋で小休止。
ジュラルミンケースの大荷物は、6階の会議室に置かせてもらう。
ロビーでいけばな作家の矢野理花子にお目にかかる。
彼女には、私どもの公演で使用する、舞台の橋ががりの前に置くお花のオブジェを製作していただくことになっている。
その他屏風やござも貸していただく。
矢野はマドリッド在住。2日前からこのホテルに滞在しているとのこと。
全員でフェスティバル会場、城塞CIUDADERA(シウダデラ)へ向かう。
ホテルからは歩いて10分程。広々とした道に面したシウダデラは、こげ茶色の古い城壁で五角形に囲まれている。
アーチ型の入り口をくぐると、両脇に古びた大砲が飾られている。

広々とした敷地は明るく、緑の芝生におおわれ、ところどころに木立が並び、噴水や、オブジェも置かれている。
その中に赤茶色のれんが造りで、要塞のように窓がなく頑丈そうな建物が、3つ程点在している。
私たちの公演が行われる城壁舞台ESENARIO DE LA MURALLA(エセナリオ・デ・ラ・ムラジャ)は、アーチ型の入り口をくぐってすぐ左手にあった。
ガードマンが立つステンレスの柵の扉を開けてもらい中に入ると、工事現場のように黒いビニールテントでおおわれた巨大な四角い箱が、ドカンとそびえていた。

これが今準備中のエセナリオ・デ・ラ・ムラジャ。
箱の中はどの面も黒く塗りつぶしてある。舞台の床には白木が一面に張られ、半分ほど、やはり黒く塗りかけてある。舞台袖に巻き上げてあるビニールシートの中に昨夜来の雨がたまって、パンパンにふくらんでたれさがっている。
客席はもうすっかりできあがっていた。

横に38個、階段状に28段、青空へと向かってあがっていく客席は、大勢のお客を待ち受けている。
その客席の一番後ろ、空の中に、照明、音響の操作室がある。吹き抜けなので、室とは言えないが。
舞台袖では、矢野がスタッフに、私たちに貸して下さる屏風の枠を焦げ茶色に塗らせている。
毛氈も用意して下さり、「量が足りなければ買いにいきます。」と親切に心配してくださる。
舞台の打ち合わせをしないと細かいことが決まってこないので、それから返事をさせていただくことにする。
舞台監督・照明兼務の野地を中心に、スペイン側スタッフと舞台仕込みの打ち合わせにとりかかる。
日本側は、野地の他、舞台・照明監督助手/平野悦子 吉村桂充 國弘正彦 アベル・ソラレスの5名。
事前にフェスティバルの舞台・照明・音響各担当者と通訳2名の同席を頼んであったが、いたのは、照明担当者2名、ファとブディーだけ。
ファは、身長175cm位、体全体にふっくらと豊かなししおきで、天然パーマの髪にふわふわとふちどられたバラ色の血色のよい丸顔には、やさしい光の瞳が輝いている。
通訳は、川端とアベルが引き受けてくれた。
しかしこれでは打ち合わせにならないので、ホテルへ帰ることにする。
勢いこんでやってきたでばなをくじかれ、いささか肩を落として帰りかけると、折良くやってきたのが、舞台チーフのAndoni Cortijoアンドニ・コルティホ。
60歳代のとても柔和な人。身長180cm程の長身に、フェスティバルのお揃い、黄色いTシャツを着ている。
長い足で悠然と近づいてきた。
いつも笑っている目元、口元には、滋味のあるしわが刻まれている。
丸いお鼻の先が赤いのは、お酒の飲み過ぎかしら。
親しみをこめた握手をかわし、私たちの舞台のために用意してある材料の収納庫へ案内してくれた。
所作台がわりに敷く板は、日本から送った見本と同じような、白木で表面のざらついていない、色白の美しい板を用意してくれていた。
1枚の大きさは、横1.22m、縦2.44m、厚さ1.5cm。
ただ指示の行き違いがあり、板の枚数が不足している。
会場が室内劇場から野外の大劇場に変わったために、改めて舞台図面を日本から送ったのだが、彼の手元にあるのは、それ以前に送った室内劇場用。
川端は、「新しい図面をフェスティバル主催者に確かに送ったのですが、何かの手違いで届いていないようです。」と言う。
日本とスペイン、それもマドリッドの川端からパンプローナのフェスティバル主催者に渡り、それからようやく舞台チーフのアンドニの手に届く。
こちらの思いが正確には伝わらないのではという覚悟はしていた。
板の不足はわずかなので、舞台の形を工夫して間に合わせることにする。
それにしても、こちらの希望通りの材料をそろえてくれた彼らの誠実さが、とても嬉しい。
また海外経験豊富な鈴木慎介の的確な指示に感服し、感謝の思いでいっぱいになった。
毛氈には、赤いフェルトの布地を注文してあったが、それも別の場所にクルクルと大きな絨毯のように巻いて置いてあった。
色は日本の毛氈の赤といったら緋色なのだが、こちらのはワインがかった赤。
しかし舞台のあらゆる面を塗りつぶしてある黒には、この赤の方が似合うかもしれない。分量もたっぷりとあるので安心。
結局矢野の毛氈はお借りせずにすむことになった。
1時間あまりの下見と打ち合わせをすませ、ホテルで小休止。
その後は、スペインで初めてのディナーが待っている。今夜は、川端のご招待。
スペインのレストランは、夜は午後9時にならなければあかない。日本だったらそろそろラストオーダー。
ホテルのロビーの隅にはパソコンが置いてあり、宿泊客が自由に使える。
アベルは長いことパソコンの前に座っている。
彼はパソコンを自由自在に使いこなす。パソコンは彼の書斎であり、図書館であり、郵便局でもある。
冨田が部屋で見たテレビ・ニュースの中で、上方舞が紹介されていたことを教えてくれる。
以前、川端に資料として渡したビデオの、私の舞が放映されていたらしい。
上方唄「三国一」の一場面で、「面を付けて舞っているところだけでしたよ。まあ、面を取ったところも写せばいいのに。この国の人はああいう面白おかしいのが好きなんですねえ。」と、不服そう。
たしかそのビデオには、いわゆる艶物といわれるしっとりとした舞も入っていたはず。
パンプローナのテレビ局の人は、3曲ほど趣の異なる舞がある中で、「三国一」の面の部分が一番お気にめしたのだろう。
「三国一」の舞は、国営テレビと、ナバーラの地方局でも放映された。
初めてのスペインの夕食。
川端ご推薦のレストランへうちそろって行こうと、ロビーに集合。
野地が不足している板のために、新しい舞台案をさっそく持って来てくれた。
それによると、舞台をシンメトリーにし、橋懸かりも左右両方につける。
とても美しい。これでいくことにする。
待てどくらせど、一人、アベルが来ない。
部屋にもいない。しかたなくレストランへ向かう。
ホテルから3分位の路地にその店SAN FERMINサン・フェルミンがある。
「その角を曲がって。」と川端に教えられ角を曲がると、暗闇の向こうで誰か手をふっている。何のことはない、アベルが店の前で私達を待っている。
紺の作務衣を着て、両手を頭上で大きくふっている。彼の顔は無邪気な笑顔でいっぱい。
「ここです。ここです。」彼の案内で、2階のレストランへ上がる。
川端を加えて11名の私たちは、大きなテーブルをぐるりと囲んだ。

ビールはHeineken、ヴィーノ(ワイン)はナバーラのハウスワインを注文した。
ヴィーノがとてもおいしい。
飲み物のすぐ後に配られるパンは、日本では味わえないおいしさ。
小麦粉そのものの持つ力が違うように思う。とてもねばりがあって腰がつよく、野趣に富んだ深みのある豊かさが、口の中に広がる。
肉料理はとても種類が豊富。みなでいろいろなものを注文した。
トロ(まぐろではない。闘牛の牛のこと)、ラムの骨付きカルビ、鹿、それにステーキ。
アベルはトロを「おいしい、おいしい。」と言って食べていた。
他には、赤ピーマンとえびしんじょの煮物、野菜サラダ、アスパラ。
巨大な白いアスパラは、とても柔らかく、甘みがあった。
サラダに添えられているマヨネーズや、オリーブドレッシングの味は、あっさりとさわやか。
サービスにチョリソーを出してくれる。
デザートは、メロン、アイスクリーム、ヨーグルトをそれぞれに注文した。
食後のお茶は、コーヒー、紅茶の他に、ハーブティーもある。
私はハーブティーをいただいた。日本ではカミツレ、スペイン語では、Manzanillaマンサニージャ。
白い小菊のような可憐な花のハーブティーに、やすらぎをおぼえる。
2時間半のディナーを終え外にでると、ひっそりと暗くたたずむ古い街並みの上に、大きな満月が昇っている。
「ウォ、ウォーン。」狼男の遠吠えが聞こえてきそうな、ひんやりとした夜の帳がたれこめていた。
ホテルの入り口で明日の打ち合わせをする。
9:00からフェスティバルの舞台業者と打ち合わせ。
そのため8:30に、野地、平野、桂充、國弘、川端は、ロビーに集合。
野地がアベルに、通訳のために8:30にロビーへ来てくれと依頼した。
するとアベルは大きく目を見開いて、「No!」と強く否定した。
宵っ張りで朝の遅い彼には、8:30から仕事をする習慣はない。
再三頼んでもますます頑なに拒否をする。彼のYes・Noにはあいまいさがない。
とたんに野地が声荒く、目を三角にして、
「通訳を2人用意しといてくれと言ったじゃないか。」と、憤りにふるえた火のような怒りを私にぶつけた。
川端が「私が行きますよ。」と必死になだめてくれる。
しかし野地の興奮はなかなかおさまりそうになかった。
通訳の件は5月に川端にも伝え、自分でも知り合いのつてをたどって多方面から探した。
しかし時期がちょうど夏休みで人がいないのと、\100,000で3日間半という予算でひきうけてくれる人がいないのとで、結局野地付き通訳2名を頼むことはできなかった。
フェスティバル主催者が例年数人の通訳を用意しているとのことだったが、事前のこちらからの要請にもかかわらず、会場での打ち合わせには一人も来ていなかった。
舞台担当者さえいなかった。
しかしパンプローナの人には、彼らなりの仕事の仕方、時間配分があるようで、彼らは彼らの時計を持ち、その中で誠実に働いているのが感じられた。
私はこちらの思惑と大きなずれのある彼らの感覚を決して不快には思わなかった。
かえってそのおおらかさに、ゆったりとした時の流れを感じ、こちらの心の休まるのを覚えた。
舞台仕込みの際には、川端と、アベルとの2名で通訳をしてもらえば良いと私は楽天的に考えたのだが、野地のものさしでは、この2名は通訳とは認められないのだろうか。
当初団員として同行の予定はなかったのに、スペイン語のできるアベルに来てもらったのは、公演の解説ばかりでなく、通訳として少しでも野地の助けになればと思い、赤字財政を工面して経費を捻出した。
その苦労は骨身をけずるものだった。
すべてが終わって3ヶ月あまり、この報告書を書いていると、あの時の野地の剣幕はプロの照明家としての焔に火がついたのであろうか。
後日、再び野地にののしられたが、たしかに上方舞友の会は貧乏所帯。大きくなれない小さな団体。
でも、金持ちになること、大きくなることが芸の質と比例するとは思っていない。
川端はこの夜、ショックで眠れなかったと、後で打ち明けた。
第3日目 7月24日(水)
舞台仕込み
記者会見
06:30 起床
07:20 朝食
08:40 ホテル出発(野地、平野、桂充、國弘、川端)
08:50 舞台仕込み開始
10:30 記者会見準備のため、ホテル帰館(桂充)
12:00〜12:50 記者会見(桂充、衣笠、川端、アベル)
13:00 音合わせ・稽古開始 地唄「蛙」 三曲合奏
13:30 昼食 昼休み
16:00 ホテル出発
16:10 舞台仕込み開始
18:00 音響打ち合わせ
20:00 舞台の板敷き開始
22:00 板敷き終了 屏風立て
22:30 照明仕込み
23:40 舞台仕込み終了
23:50 中華レストランで食事
01:00 ホテル帰館
パンプローナの夏は、日本の軽井沢のように涼しく過ごしやすい。と聞いてきたが、それ以上で、長袖のシャツ1枚では肌寒い程。
今年の夏は特別に気温が低いそうだ。信仰の厚い町で、至る所に教会があり、のどかな鐘の音が、時を知らせる。
ホテル・マイソンナベの朝食もビュッフェ形式。
数種類のパン、ハム類、卵料理、乳製品、果物、デザートが並んでいる。
大きな丸ごとのトマトやゆで玉子も、素朴にごろごろと皿に盛ってある。
やはりパンがとてもおいしい。
野地と同じテーブルになったので、昨夜の続きで、野地付き通訳2名を努力はしたが結果として用意できなかったおわびを申しあげた。
野地の物差しでは、川端、アベルの2名は通訳の範疇に入らないらしいから。
9時前のすがすがしい空気の中、野地、平野、桂充、國弘、川端の5名は、シウダデラへ向かう。いざ、舞台の仕込みへ。
パンプローナの石畳を歩きながら、私は川端に、聞こえてくる教会の鐘についてたずねた。
たびたび聞こえるその鐘は、15分おきに鳴らされるとのこと。
毎時きっかりには、その時間の数だけ、15分には1回、30分には2回、45分には3回打ち鳴らされるとのこと。
昔の日本人も、鐘の音で時を知った。ここではまだ、そしてこれからもずっと、人々は鐘の響きとともにくらしていく。
ローマ時代からそこにある教会の鐘の音。
石造りの文化が積み重ねて来た歴史をうらやましく思う。
舞台では、昨日塗りかけだった床が、すっかり黒くぬりつぶされている。
この上に、アンドニたちが用意してくれた美しい白木の板を所作台の替わりに敷きつめる。
野地はさっそく平野に巻き尺の端を持たせ寸法を取りながら、目印の黄色いテープを黒い床に貼っていった。
日本でだったら照明の大先生として、こんな舞台監督の仕事には一切手を出さない。
「工具一式、鋸・金槌・ペンチまで外国に持ってきたのは初めてなんだから。」と苦労の一端をチラッとこぼす。
朝寝坊のアベルが、9時少し過ぎには、手伝いに駆けつけてくれた。
食事がすんだら来てねと頼んでおいたのを律儀に守ってくれた。
彼は、「Yes」と言ったことはきっちりと行動に移してくれる。
お愛想も嘘もない、正直な人。そのかわりできないことは、はっきりと「No!」。
自分の言葉に対する責任感を見習いたい。
川端とアベルの通訳で、舞台の仕込みが進んで行く。
記者会見の準備のため、桂充はホテルへ戻る。
日頃スッピンの乞食ルックで飛んで歩いているが、スペインの方々への初めての顔見せ、日本女性の名折れとなるまじ。
待ちかねているハポンのイラストのイメージから離れ過ぎないようにしたい。
柳の葉のような眉をかき、ほんのかすかに目尻にラインを入れ、唇には紅花の紅を紅指で塗った。
スペインのデザイナーが描いた日本女性よりはずっとめりはりの少ないうすらぼんやりとした顔。
まあこんなもんでしょう。素材が素材です。
絽の着物を冨田にきりりと着付けてもらった。
手には、横長で底が篭になっている巾着型の撥袱紗(ばちぶくさ)を持ち、はい、出来上がり。
出席者は、桂充、衣笠、アベル、川端の4名。
國弘が記録係、冨田康子が付き人として、見守ってくれる。
ロビーで待ち合わせ、会見場へ向かう。
川端が、フェスティバルの主催者Jesús María Bengoechea Mirandaを紹介して下さった。
小柄なロマンス・グレーの紳士。穏和な笑顔で歓待して下さった。
記者会見場は、ホテルのBarの半地下。ダンスができそうな、ガランとした広い部屋。階
段をおりて行くと、すでに30名ほどのマスコミ関係者が集まっていた。
正面の右横には、例の大きなポスターが立ててある。
桂充と衣笠は、まずそのスペイン風芸者ガールの前に立たされた。
とたんにカメラのフラッシュ。カシャカシャというシャッター音。
慣れないこととて緊張していると、アベルが目の前にやって来て、一生懸命笑わそうとする。
口の両端と頬を引き上げて太陽のような笑顔をしてみせるアベルにつられ、こわばった顔もようやくほころんだ。
記者会見は川端の司会ですすめられた。
口火をきって話をするように言われた桂充は、まず上方舞のことについて話した。
簡単な歴史、表現方法の特徴、その音楽など。
特にはじめて上方舞を見るスペインの方々に、そのあまりにも微細な表現、ゆっくりとした間合いに違和感を持つことなく、楽しんで味わってもらえるよう、そういった表現の持つ意味について語らせていただいた。
派手な動きを見せる踊りではなく、抑えた動きの中から心の内面を豊かに浮かび上がらせようとする舞であることを強調した。
衣笠は、「今回の会場は、本来日本で演奏している状態とはあまりにも条件が違う。しかしその中で、スペインのみなさんがどのように私達の音楽を受けとめてくれるか、楽しみにしています。」と語った。
アベルは、私にも語らせてと、スペイン語でとうとうと話しだした。
彼の頭につまっている舞についての知識が、氾濫した川の流れのようにあふれだし、豊かな身振り手振りもあいまって、とどまるところを知らない。
司会の川端が、「講演会ではないのですから。」と釘をさしてようやく止まった。
50分程で会見は終わり、日本から用意してきたプロモーション・ビデオを希望者に差し上げた。
次の各社が持って行って下さった。
<新聞社> EGUNKARIA DIARIO DE NOTICIAS
<ラジオ> RADIO NACIONAL NET21 ONDA CERO
<テレビ> TVE(テレビシオン・エスパニョーラ スペイン国営テレビ)
舞台仕込み班は、野地、平野、桂充、國弘の4名。
他の出演者たちは、ホテルの会議室で、公演の稽古に取り組む。
昼休み後、再び舞台仕込みのために、舞台仕込み班は、16時にホテルを出発することになる。
また通訳を確保せねば。しかし川端がみつからない。
スペインでは、みな昼休みをたっぷり取る。
法律でも、シエスタ・タイムには、働いたり、働かせたりしてはいけないきまりになっている。
どこかでゆっくりシエスタ・タイムを過ごしているのかもしれない。
運良く居合わせたアベルが、通訳を引き受けてくれた。
いさんでシウダデラへ行くと、舞台にはまだ照明器具が床に置かれたまま。
これを吊ってくれないことには、所作台替わりの板を敷くことができない。
板が敷けなければ、明かり合わせもできない。
アベルが「舞台はあと3時間後になる。」と首をふりふり診断してくれる。
板が敷けるようになるまで、私たちはひたすら待つしかない。
ベンチで横になる人、発声練習をする人、それぞれのスタイルで時を過ごす。
芝生の上は、暑からず寒からず。私は柔らかな緑の絨毯の上で、ヨガを楽しんだ。
逆立ちをすると、噴水が逆さまに見えた。
やがて川端も姿をあらわしたのでホッとする。
待ちに待った音響担当者がようやくご登場。
マイクの種類、本数の打ち合わせをし、舞台上のスピーカーの置き方を相談する。
スピーカーの台には、黒い布をまいてもらうことにする。
川端が、「桂充さん、ちょっと。」と私をわきへ呼んだ。
「アベルさんがいると、通訳がしにくい。」とのこと。
たしかにエネルギッシュに大きな声で話すアベルがいたら、他の人は口をはさめない。
日本語で指図をしているのは、野地ひとり。通訳は一人で充分。
アベルにはていねいにお礼を言って、川端と交替してもらうことにした。
照明器具が吊り上げられたのは、午後8時。
アベルの予測よりさらに1時間遅くなった。
ようやく板が敷ける。今までひたすら待ち続けた私たちに活気が戻り、野地の大活躍が始まる。
まずは箒で舞台上を掃く。掃き清めた所へ板を敷いていく。
目印の黄色いテープに合わせて、中心から板を置き、釘を打ってとめる。
丸顔の、ほっぺたの赤い職人さんと、体の大きな立派な顔立ちの職人さんとが、野地の指図に従ってもくもくと働いてくれる。
なにを言われても、眉ひとつ動かさず、舞台の上をのっしのっしと歩きながら、従順に板を敷き、釘を打つ。
舞台の床下は鉄なので、釘はドリルを使って打ち込む。
半袖から出た腕は、太くてたくましい。
橋掛りにあたる部分は、本舞台に対し斜めにとりつけるため、板をカットして使う。
だんだんと白い板の部分が広くなる。
問題は、彼らに靴を脱ぐ習慣がないこと。
所作台に土足で上がられては困る。
「通るな!」とスペイン語で表示するという案もあったが、板の上にカーペットを敷き詰めることにした。
ちょうど、紺色のカーペットがたっぷりあった。その上なら心置きなく土足で歩ける。
パンプローナの舞台職人さんたちの誠実な仕事ぶりは、とても美しい。
「気はやさしくて、力持ち。」を絵で描いたような人たちに、ゆったりとした気分で仕事をおまかせすることができた。
ここナバーラ州はバスク地方とも呼ばれるが、
「バスクの力持ち競争」というコンクールがあり、大きな丸い石を持ち上げて、一番の力持ちを競うそうだ。
シウダデラのまわりの歩道には、直径50cmほどの、丸いコンクリートの石が、歩道のふち飾りのようにずらっと並んでいるが、それもこの力持ち競争から来ていると、川端が教えてくれた。
そんな素朴な古い祭りを大事に伝えているパンプローナの人々に、気取りのない暖かさを感じ、心がほっとやすまる。
板を敷き終わると、ようやく薄暗くなった。
スペインの夏の夜は遅い。
たそがれは、午後10時頃にならなければ、おとずれない。
1日の長いこと。
矢野里花子がマドリッドから運んでくれた屏風を立てる。
だだっ広い舞台をいかし、屏風は本舞台から離し、2mほど後方に立てた。
鈍い金色の古びた屏風は、普通の屏風よりずっしりと重く、こげ茶色に塗られた木で、がっしりと縁取られている。

重量感のある屏風、ビヨンボは、大きな架設舞台の空間をギュッとひきしめてくれた。
ようやく照明器具の準備が整い、照明家野地の本来の力を出せる状態となったのは、午後10時半。日本だったら残業もすんで、一杯やって、遅い家路につくころ。
パンプローナの職人さんにとっては、この時間に働くことは、ごくあたりまえらしい。急ぐようすもなく、ましてやいらだちなどとは無関係。
あいかわらずの笑顔と穏やかさで、野地の指図に素直に従ってくれる。
野地は水を得た魚のようにいきいきと、大きな声で次々と指示をとばす。
照明スタッフに、野地のつけた番号通りに明かりのスイッチを押してもらう。
薄暗い舞台に初めて皓々とまぶしい光が点った時は、その晴れがましさに胸が躍った。
舞台上に、車付き巨大脚立を乗せる。高さは4mほど。最上部には、人が数人乗れそう。
Faさんともうひとりが乗って、野地がOKと言うまで、照明器具の向きを調整する。
ひとつがすめば、次の位置へ巨大脚立をゴロゴロと押して移動する。
まるで紺色のカーペットの上をマンモス象が移動していくよう。
野地が舞台の上で両手を大きく振り回しながら、明かりの位置を指図する。
いつの間にか、通訳なしで意志が通じるようになっていた。
40個ほどの照明器具の明かり合わせがすんだのは、真夜中の12時20分前。
シンデレラよろしく大急ぎで、私たちはシウダデラを後にした。
野地、平野、桂充、國弘、川端以上舞台仕込み班5名は、ろくろく夕食もとっていないので、おなかがペコペコ。
Barやレストランをのぞいてみるが、みな閉店。
わびしさをかみしめながら、一杯のビールと食事を求めて、パンプローナの夜の薄暗い石畳をさまよう。
ふと、赤い提灯をみつけた桂充は、その光に吸い寄せられるように足を早めた。
2階にあるその店は、中華レストラン。
片手を開いて見せ、「Cinco.OK?」とたずねると、
店の中国人が、「Si.Si.」とうなづいてくれる。
桂充は喜びいさんで皆を呼びに行った。
テーブルを囲んだ5人の顔は、安堵と喜びに輝いていた。
ビールの乾杯と、久しぶりのAsian Tasteに、1日の緊張と疲れが、ほぐされていった。
「あんた、偉いよ。」野地が、この店をみつけたお手柄をほめてくれる。
「どうやって言葉が通じたんだ。」と問われるが、食べたい一心さえあれば、世界中どこでも食にありつける自信はある。
言葉は心の媒介。自分の心に素直でいたら、その想いを伝える手段は、自然にわき起こってくる。通訳など要らない?
1本で日本の3本分位もある大春巻き、日本と同じような味付けのチャーハンを「おいしい、おいしい。」と言いながらたいらげ、ホテルに戻ったのは、夜中の1時をまわっていた。
第4日目 7月25日(木)
舞台道具搬送
上方舞公演 舞台稽古
上方舞公演 本番
06:50 起床
07:15 朝食
08:20 新聞を買いに行く
09:00 舞台道具搬送
10:00 ホテル帰館 休憩
13:30 昼食 Yolanda Osesのインヴィテーション
17:30 上方舞公演 舞台稽古開始
22:30 上方舞公演 開演
24:00 上方舞公演 終了
01:00 ホテルで乾杯
今日からナバーラ・フェスティバルが始まる。
フランシスコ・ザビエルが、日本とナバーラとの間に架け渡しヨーロッパ文明を伝えてくれた縁の橋を渡って、今度は、日本文化がナバーラへと紹介される。
私ども上方舞友の会が、そのオープニングのメイン・イベント主催者として選ばれたことは、これまでの労苦が報われてあまりある光栄と喜び。
これもコーディネーター川端真砂子の、地道な骨折りのおかげと、感謝でいっぱい。
ホテルに置いてある新聞に、昨日の記者会見の様子が掲載されている。
フロントで新聞売り場を教えてもらう。
「ホテルを出て右へ行き、次を左へ行き、また右へ行くと売っている。」とボーイが教えてくれた。
その通りに行くと、朝の冷気の漂う向こうのほうに、道ばたに台を出し、椅子に腰掛けてどうやら新聞を売っているらしい丸い背中が見えた。
青いセーターの、肩幅の広いがっしりとした背中の持ち主は、60歳代なかば位の気むずかしそうなおじさん。
売り声をあげるでもなく、ただ黙って座っている。
「新聞をください。」と声をかけると、低いだみ声で早口にしゃべるその言葉は、普通のスペイン語とも違う。バスク特有のバスク語をつかっているらしい。
おおきな団子鼻は、赤味をおびている。
くるっとカールした黒くて長いまつげが、目の縁に影をおとし、うるんだ瞳が人生の深さを物語る。
新聞を3部求め、写真を撮らせてくださいとカメラを向けると、強い調子の言葉を吐きながら、杖をついて慌てて立ち上がり、背中を向けてかなわぬ左脚をひきひき逃げて行く。
ごめんなさいとあやまりカメラをおさめると、また戻ってきて腰掛けた。
ホテルへもどりながらふりむくと、さっきと同じように、青いセーターの背中が、大きな丸い石のように道ばたに置かれていた。
午前9時に、舞台で使う衣装、かつら、楽器、その他を会場へ運ぶため、トラックがホテルに横付けになった。
助手席にのりこむと、若くてハンサムな運転手が、人なつっこい笑顔で、町のガイドをしてくれる。
ホテルのすぐ近くには、ナバーラ美術館がある。
楽屋は、城壁舞台の後方、地面の上にじかに立てられた白いビニール製テントで、アラビア風とんがり屋根。
透明ビニールの窓もある。
鏡は銀紙を貼ったもの。波打ってうつるのが楽しい。
冷たい水が飲めるタンクまですえてくれた。
トイレは楽屋の横に設置してある。
「DameとHerr」の標識を紙に描いてはった。男と女の横顔を黒と赤のサインペンで描き、男には口髭とシルクハット、女にはイヤリングを付ける。桂充の落とし書きとなる。
雨が降ったりやんだりしているのが気にかかる。
今日の昼食は、Yolanda Osesのインヴィテーションで、シウダデラ内の和食レストラン。
今日の13時半からオープン。
いの一番に私たちが試食させていただけるとのこと。
インヴィテーションということで、それぞれにおめかしを してホテルのロビーに集合。
一番若い清野樹盟も背広にネクタイ。髪を後ろになでつけ、なかなかすっきりして格好がいい。
「清野さんは、ジェームス・ディーンに似てるわね。」と正直な感想を言うと、顔中くしゃくしゃの笑顔になり、「ジェームス・ディーンが大好きなんです。」とご満悦。
かたわらで衣笠が、「そりゃ言い過ぎでしょ。」とつぶやいた。
気取ったJaponの一行がかの和食レストランにたどりつくと、どうも様子がおかしい。
店の内部は、日本の骨董品を飾ったり、のれんをさげたりして、和の空間を演出しているのだけれど、従業員らしき人が一人もいず、愛想よく迎えてくれる人もいない。
かんじんのYolanda Osésもみあたらない。
インヴィテーションなのだから、歓待していただけるとおもってきたのに、閑散とした様子に、肩すかしをくらったような面もちでいると、今日はまだオープンできないとのこと。
ガッカリ。
明るい外の芝生の上を空きっ腹をかかえて歩いていると、川端がYolandaをみつけて話に行った。
もどってくると
「大変もうしわけない。他のレストランにご招待します。とのことです。」と明るい情報を持ってきてくださった。
「スペインの独特な言い方があって、Yolandaに『お前を殺すぞ。』と言ったら、青くなっていました。」と、にやっと笑った。
このことばはとてもよく効いたらしい。
私たちをパンプローナ市内で最も高級な店の一つに招待してくれることになったのだから。
ちなみに『お前を殺すぞ。』は、スペイン語で『テマト!』と言う。
夫婦げんかの時にも使うと効果的とのこと。
闘牛場の隣にあるというそのレストランへ、タクシー3台に分乗して向かう。
パンプローナ市で最高級というその店は、とてもはやっていた。
小さな子供連れの家族もいる。
一番奥に私たち一行11名は陣取った。
後から川端のご主人Galloと、松田朴伝も加わる。
スペインでは、昼からビールやワインの乾杯で食事が始まる。
ワインで流し込むパンのおいしいこと。
料理はさすが最高級のレストラン、品の良い味付け。
スペインの夏のスープ『ガスパッチオ』がとてもおいしい。
トマト味の冷たいスープで、トマトの他に、胡瓜、ピーマンなどが入っている。
野菜の形はなく、なめらかなクリーム・スープ風だが、薬味に胡瓜、ピーマン、トマトのみじん切りが添えられ、好みでスープに入れて飲む。
さっぱりとした酸味が食欲を増す。川端もこれが大好きとのこと。
メイン・ディッシュには、白身魚、ステーキ、コロッケ、タン・テールをそれぞれ注文した。
川端は「私は、コロッケが好きなの。」と少女のようにはにかんで言った。
私の注文した白身魚は少々塩がきつすぎた。ただ同じ物を食べた他のひとは、ちょうどいい味だったそうだから、もしかすると私の分だけ、コックがうっかり塩をかけすぎたのかもしれない。
川端のコロッケをおすそわけしていただいた。
ステーキを注文した人は、「とても柔らかくて、こんなおいしいステーキは初めて。」と言って感激して食べていた。ここのステーキは、後々までの語り草となった。
デザート、お茶と豪華なフルコースを2時間半近くかけてご馳走になり、ふたたびシウダデラに向かう。
和食レストランのオープンが間に合わなかったことは、神様のプレゼントかしら。
舞台稽古の準備を始める。
化粧はしないが、衣装、かつらをつける。
地方の位置は、当初舞台上手横を予定していたが、時折風とともにふきこむ雨のため、もっと奥、屏風の上手脇になった。
開演の合図には、桂充が能管を吹くことになる。
マイクをつかわなくても、能管の響きは、広い野外劇場のすみからすみまで鳴り渡る。
土足防止にしきつめた紺色のカーペットをとりのぞくと、白木の舞台が、すがすがしく表れた。
國弘と平野が、さらにその上を拭き清めてくれる。
昨日ていねいに板を打ちとめてくれたので、凹凸もなく、とても舞いやすい。
海外で公演をすると、日本とは違った悪条件の中、衣装の裾がよごれるのが悩みの種だが、今回はこんなにきれいな舞台の上で舞えることが、奇跡のようにありがたく、嬉しく、心地よかった。
これも、鈴木慎介、野地晃、両名の豊かな経験と、周到な準備のおかげ。
稽古は本番通りに行う。現地スタッフに手順を理解してもらうため。
アベルは発声練習に余念がない。
もうすっかり舞台上の役者。闘牛場の扉の前で足踏みをし、飛び出るのを今か今かと待っている牡牛のようなエキサイトぶり。
彼の役者としての血が騒ぐ。
アベルの衣装は、桂充所有の義太夫の夏の床着、麻の白地の着物に、紗の緑の肩衣。
袴は國弘の仙台平。アベルのがっしりした体に良く似合う。
川端が、夕食にオープンサンドを差し入れてくれる。
私は一口もたべられなかった。残念。
開演30分前から、観客がぞくぞくと詰めかけ、1200の客席は満杯。
「フルハウスです。」川端が伝えてくれた。
午後10時30分。いよいよナバーラ州の歴史が始まって以来はじめての上方舞公演がはじまる。
能管の強い響きが鳴り渡った。
【上方舞公演】
第1曲目 地唄「小簾の戸」。
舞 吉村桂充/唄・三味線 衣笠一代/尺八 清野樹盟
着物:黒い紗の裾引きを素肌に着る。 帯:白地に黒と灰色の格子 おこし:水色に朱の絞り かつら:大丸髷 扇:つや消し銀地に蛍尺八が、本来はない前奏をくふうして付けてくれる。とても叙情的。
第2曲目 地唄「蛙」
舞 吉村ゆみ/唄・三味線 岡村慎太郎
着物:深緑色無地紬と薄茶無地小袴 かつら:ひっつめに小さなまげ
第3曲目 地唄「八島」
舞 吉村桂充/唄・三味線 岡村慎太郎
着物:紺地に白波がしら、金銀飛沫 帯:金地丸帯 扇:勝修羅扇、金地に波がしら(2本)
第4曲目 尺八「真虚霊」 尺八 清野樹盟
第5曲目 地唄「葵の上」
舞 吉村桂充/唄・三味線 衣笠一代/箏 岡村慎太郎
着物:白地唐織裾更紗 帯:細帯 腰巻:赤藤色地に金銀花丸 かつら:根取り下げ 扇:鬼扇白地一輪牡丹 小道具:打ち杖(協力:梅若研能会)
解説 アベル・ソラレス
後見 國弘正彦/着付け 冨田康子
舞台・照明監督 野地晃/舞台・照明監督助手 平野悦子
かつら 大澤金久/衣装 上嶋衣装、小林能装束/扇 本家十松屋
上方舞は本来、座敷舞として、小さく囲われた空間で舞われるもの。
繊細な心のひだを抑えた動きで表現し、
観ている人に豊かなイマジネーションを与えようとする上方舞。
その恥じらいをふくんだおくゆかしいたたずまいをそのまま、
野外の架設舞台の上からスペインの方々に提供した。
踊りではなく、あくまでも舞としての誇りを持ち、
これ見よがしの派手な表現はせず、おさえた動きの中の深い内面性こそを大切にして。
舞い終わると満席のお客様方からは、一瞬の間をおいて、地鳴りのような拍手が湧き起こった。
それは、決して軽やかに浮き立つような拍手ではなく、
一つ一つ力のこもった、それこそ腹から絞り出すといった、唸りにも似た拍手。
舞台の後見座に座る國弘は、
「すごい拍手だ。一つ一つが重い拍手だ。」と、恐ろしいものにふれたような面もちでつぶやいた。
終演後には、真っ先に田中克之在スペイン日本国全権大使夫妻と清水知足書記官が楽屋を
たずねてくださった。
日本ではお目にかかれない方に、異国の空の下で初めてお会いし、しかも舞まで見ていただけた喜びをお伝えする。
清水書記官はにこやかに、
「日本でも見たことのないものをスペインで見ることができて、とても驚きました。スペインの人々も喜びますよ。」とおしゃった。
やがてハイヒールのスペインの貴婦人達が粛々とあらわれる。おひとりずつ声をかけてくださり、舞の美しさ、表現の豊かさに、賛嘆のお言葉をいただいた。
舞手として特に嬉しかったのは、
「舞というのは、あんなに豊かにいろいろな人物、そしてその心を描きわけるものなのですね。」と、気品あふれる白百合のような風情のご婦人に、大きな目で静かに語りかけられたこと。
ストレートな金髪が肩にかかる、ほっそりとたおやかなその方は、消え入るような小さなお声で、一言一言ゆっくりかみしめるように話され、まっすぐ私をみつめる瞳には、強い光が宿っていた。
上方舞の持つ内面的な表現力のすばらしさは、国を越え、人種の垣をとりはらい、人々の心に静かにしみわたった。
片づけを終わると、もう夜中の12時半。
昨日の中華レストランももう開いていないとのこと。
トボトボとホテルへ戻る。
野地が「みんな自分の部屋の冷蔵庫の缶ビールを持って来るんだよ。ここで乾杯しよう。」と大きな声で提案。
ささやかな打ち上げが、ロビーで始まった。
「乾杯!」舞台の成功を祝う。
仕込みで一番神経をすりへらした野地の顔もほころんでいる。
第5日目 7月26日(金)
音響仕込み
三曲演奏会 舞台稽古
三曲演奏会 本番
08:00 起床
08:30 朝食
16:00 会場で打ち合わせ
16:30 音響仕込み開始
18:30 三曲演奏会 舞台稽古開始
22:30 三曲演奏会 開演
23:30 三曲演奏会 終演
24:00 打ち上げ(中華レストラン)
今日は、三曲演奏会が行われる。
朝食の席で、國弘が、音響の具合について衣笠、岡村に意見を聞く。
衣笠は、音響がやはり日本の楽器向きでなく、演奏していてとてもいやだとのこと。
音をどのようにマイクでひろってほしいか、野地も二人の意見に親身に耳を傾ける。
今日は、スペインの音響技師に妥協せず、こうしてほしいということを明確に伝え、できるだけ日本の音楽にあった音響にしてもらおうと、みなの意志を固める。
昨日の上方舞公演の舞台稽古の折りも、まるでロックのような音がスピーカーから鳴り響き、思わず耳をふさぎたくなるような場面が何度かあった。
本番はどうやら無事にすんだのでホッとしたが、スペインの人は、すべて大きな音で聞かせるのがサービスと思っているのだろうか。
野地は、今日はこれからセーターを買いに行くと言った。
昨夜は客席のてっぺんにある吹き抜けの操作室で、すっかり凍えてしまったとのこと。
食事の後、新聞を買いにいく。
昨日カメラを向けて拒絶されたおじさんに会いたい。
ホテルを出て右へ行き、左へ曲がり、またすぐ右へ曲がると、昨日と同じ後ろ姿が見えた。
おじさんは、ニコッともせずに新聞を売ってくれた。
部屋で今日の公演がスムーズに行くよう、舞台転換図を描いた。
16:00にシウダデラの城壁舞台の横に、今日の出演者ほか、スタッフが集まり、打ち合わせをする。
まず川端が、昨日の上方舞公演でスペインの方々が受けた印象について、フェスティバル主催者がまとめたものを報告してくれる。
【上方舞公演の印象】(フェスティバル主催者まとめ)
1.インパクタンテ…衝撃を受けた。すばらしい。舞台がすごくシンプル。無からすばらしいものを生み出している。
2.リアクション……聴衆のリアクションも大変良かった。フェスティバルの聴衆は、嫌なら帰る。しかし昨日は、高齢者と子供しか帰らなかった。それもとても寒かったので、やむをえないことだった。
3.エクセレント……聴衆の反応は、最高。上方舞には、舞台が大き過ぎたが、しかし、大勢の人に見てもらえた。
4.プレスの反応……大変良かった。
このような好評をいただき、ほっとすると同時に、スペインの方々の日本の伝統芸能に対する理解力の深さ、審美眼の高さに、畏敬の念さえおぼえた。
日本においても、華やかに派手な表現で大衆的な娯楽性を持つ歌舞伎舞踊に対し、上方舞はずっと地味でもの静かな目立たない存在。
日本で本当に上方舞を理解し愛する人の数は、大衆的娯楽性を尊ぶ圧倒的な世の中の趨勢の前に、風前のともしびのようにこころもとない。
それなのに、遠く異国の空の下で、こんなにも深く上方舞を理解し、気に入ってもらえるとは。
能と歌舞伎においては、その鑑賞力は、能の方がずっと高度のものを必要とされる。
それと同じことが、上方舞と歌舞伎舞踊においても言える。
上方舞は、その内向的な表現による求心的なエネルギーの強さ、日本の美の極致、『わび・さび』に通じる美意識、シンプルな舞台の生み出す豊かなイメージ力、高い精神性を持つ。
その表現力は、どんな舞踊表現にも勝るとも劣らないと、私は自負している。
その上方舞をスペインの方々は、白紙の心にすんなりと受け入れてくださり、深い感動で迎えてくれた。
スペインの方々の芸術に対する感覚の鋭さ、鑑賞力のレベルの高さを思い知らされる。
と同時に、私が信じてきた美と心の表現、上方舞の芸の力は、国境を越え、人種を越えて人の心を打つ普遍性を持つということを改めて強く確信する。
今日の三曲演奏会のため、フェスティバル主催者より次のような要望が出された。
(川端の報告)
【三曲演奏会のための要望】(フェスティバル主催者より)
1.日本音楽と西洋音楽とのメロディーの違いを説明してほしい。初めて日本音楽を聞いた人々にとっては、不思議な感じがする。間違っているんじゃないかと思ってしまう。音階の違いを説明してほしい。アベルの説明がとてもいいから、最初に彼にこのことについて説明してほしい。(アベルのオーバーアクションは、スペイン人に好評。川端談)
2.1曲終わったあとに「今の曲は、……です。」というような、楽器の説明をしてほしい。
3.演奏者と観客とのコミュニケーションを大切にしてほしい。にこやかに語りかけるように。
4.昨夜、尺八独奏があったので、今夜の尺八独奏「鹿の遠音」は、省く。
以上、川端よりの報告が終わり、舞台準備の打ち合わせを始める。
「舞台転換図を書いてきました。」と野地に言うと、
「あんたの思う通りになんか行くか。」と、怒られる。
なんだか野地は、ことあるごとに私に目を三角にしてあたる。
のうてんきなやつといつも言われる桂充も、外国では、日本でのようにスムーズに事が進むとは思っていない。条件の整わない中で、できるだけ最高のものをめざしたいと思っているだけ。
言葉の通じないスペイン側スタッフとのやりとりの助けになればと願って書いたラフな図は、無駄になった。
「ビデオなんか送ってきて。」と野地はさらに言った。
私は今回の公演と同じ舞のビデオを事前に野地に送った。
舞の舞台位置と内容を理解しておいてほしいと思ったから。
その事も腹立ちの一因になっているということをこの時はじめて知って唖然とし、言葉を失った。
舞手が、照明家に舞のビデオを送って見ておいて下さいと言うことは、いけないことなのだろうか。
確かにいけないことらしい。
野地があんなに怒っているのだから。
とにかく私がよかれと思ってすることは、野地の思いとすれ違い、見当はずれのようなので、今後は、私は舞台仕込みにかかわらないことにした。
2時間ほど音響の仕込みに費やした。
ありがたいことは、パンプローナの舞台職人さんたちの誠実さ、あたたかさ。
深夜にまで及んだ一昨日の仕込みでもそうだったが、念には念を入れたこちらの要望に、嫌な顔一つせず、ましてや口答えなどするそぶりもなく、穏やかに黙々と働いてくれる。
何の気負いもなく、気長にゆったりとした面もちで、着実に仕事を積み重ねていく。
あせりや不安は全くなく、あるのは、必ずすべてがうまくいくという自信だけ。
「バルセロナオリンピック、その他国際的イベントでも、開会当日の1時間前まで準備が終わっていないというのが当たり前のお国柄。必ず当日にはなんの問題もなく公演ができるものと、皆が思っているようです。」と、スペインへ来る前に、川端からメールでもらった情報の通りだった。
彼らの仕事に対する心軽やかなねばり強さに、感動と感謝の思いで胸いっぱいになったのは、私だけではない。
帰国後3ヶ月を経た今になると、ますます彼らの人柄のすばらしさが思い出され、
ことあるごとに
「パンプローナの舞台職人さんたちは、本当にありがたかった。」と懐かしむのが、私と國弘の口癖となった。
舞台稽古は、本番通り。演奏の他に、アベルのIntroduccion(導入)、演奏者による楽器解説が入る。
【三曲演奏会】
1.Introduccion(導入) アベル・ソラレス
2.宮城道雄作曲「春の海」 箏 岡村慎太郎
尺八 清野樹盟
箏と尺八の説明 岡村慎太郎 清野樹盟
3.上方唄「ぐち」 唄・三味線 衣笠一代
尺八 清野樹盟
三味線の説明 衣笠一代
4.三曲合奏「八千代獅子」 唄・三味線 衣笠一代
唄・箏 岡村慎太郎
尺八 清野樹盟
舞 吉村桂充
5.三曲合奏「石橋」 唄・三味線 衣笠一代
唄・箏 岡村慎太郎
尺八 清野樹盟
お客様の入りは、昨日よりは少ない。
約600名ほど。
しかし3人の演奏家たちは、実にのびのびと、力強い演奏をしてくれた。
観客も満足げな心のこもった拍手をくださった。
2つの公演が無事終了し、大急ぎで後かたづけ。
荷物を車に積み込んで、ホテルへ向かう。
片づけのない野地・平野・アベル・ゆみは、川端と一緒に一足先に打ち上げ会場へ向かう。
例の中華料理店。
全員が集まって乾杯できたのは、夜中の12時半を回っていた。
しかし、楽しいはずの打ち上げが、この時ほどにがく、むなしく、この上なく悲しいものになったことはない。それまで、今回の同行者一人一人みんなに喜んでもらいたいと思って苦労したことが水の泡、私一人の取り越し苦労だったことが良くわかった。
公演の成功を祝って乾杯した後。川端が、今回の公演の感想を皆に求めた。
まず私は、私の胸の中に大きな感動を湧き起こさせた、パンプローナの町の美しさ、時代を経た壁の色、赤茶色の屋根の瓦の美しさを賛美する言葉しか口にできなかった。
アベルは、「まだ公演について思い出す気持ちになれない。」と言った。
そして次の野地の言葉は、事前の要望がかなわなかったからであろうか、きついものとなって座が一瞬白んだ。
舞台装置や照明をより良くすることが使命で、それで公演の質が向上するという考えと、手持ちの力でやりくりしようとするやり方とのギャップがそこにはあった。
大きくなることが質の高さと比例するのだろうか。
大がかりな舞台美術と照明に目もくらやむ中の演劇が、照明も舞台装置も何もない能・狂言ほど深い味わいと、強い感動を与え、豊かな空想の世界をくりひろげているだろうか。
質素でも質の高いものをめざしているだけ。
その後の食事は喉に通らず、人の話しも耳に入らなかった。
第6日目 7月27日(土)
片付け
11:00 会場・楽屋片付け
メランコリー、鬱々、孤独感の洪水に、息も絶え絶えの一日。
11:00に昨日までの戦の後片付けにシウダデラへ向かう。
桂充、平野、冨田、國弘、川端に、野地も来てくれた。
昼間の光の中で、城壁舞台はひっそりと静まり返っていた。
舞台上はすでにすっかり片付けられ、まさに夢の跡。
生花の矢野には大変お世話になった。ビヨンボ(屏風)、ござ、毛氈をお返しする。
「蛙」で使った日本からの造花は矢野へプレゼント。
舞台に生けていただいた花は、そのままフェスティバルの生花会場に運んで飾る。
生花会場は、パベジョン・デ・ミストスの1階。
美しいレンガ作りの倉庫で、奥行きが深く、アーチ状にくり抜かれたドームのようになっている。土壁に柔らかな光が当てられ、暖かなくつろぎがかもしだされる。
それぞれホテルへ帰り、自由に過ごす。
ホテルから、再び一人でシウダデラへ向かう。はじめてゆっくりと展示会場をのぞく。パベジョン・デ・ミストス1階の生花、2階、松田朴伝の墨象。上方舞ワークショップは、29日から、この松田朴伝の白と黒と赤の世界の中で行われる。

芝生の上には、白いパラソルが10本ほど立てられ、白い椅子とテーブルが置かれている。
三々五々人が集まり、お茶をのんだり、おしゃべりをしたり、スーラの絵で見たような光景がのどかに広がっている。
私はぼんやりとそちらを眺めながら、ひんやりとした芝生の中へ足を踏み入れた。
白いパラソルの下から、川端が手招きして私を呼んでくれた。
すがるような思いで、私はひきよせられ、川端、矢野、鈴木の3人でくつろいでいるところへ加えていただく。
親鳥の下へもぐりこむ雛のように。
昨夜の打ち上げのこと、フェスティバル・オープニングにこぎつけるまでの苦労、今後のことなどを話し合った。
スペインの日本人会のことも話題になった。
異国で暮らす人々が、自国の文化をどれほど大切に思っているか、その一端をのぞかせていただいた。
上方舞ワークショップについては、終了後、発表会を行いたいと申し出る。
ワークショップの成果を参加者の身内や知人、それにフェスティバルを楽しんでいる人たちにも、見てもらいたい。
参加者にとっても、そのことが、目標となり、稽古のはげみにもなる。
川端も趣旨に賛同、会場をどこにするか、フェスティバル主催者と相談しておきましょうと、約束してくれる。
一人ではじめてパンプローナの町を散歩した。
古い教会の周りに着飾った人たちが集まっている。
結婚式らしい。鐘がなり響く。
大きな犬を連れて散歩している人もいる。ここでは、毛足の長い犬が多い。
お菓子屋さんでカラフルな可愛い時計を買った。
中にお菓子が詰まっているけれど、電池でちゃんと動く。
洋品店のショウウィンドウをのぞいていると、通りかかったガリョが、「楽しい?」と声をかけてくださった。
「はい、楽しいです。」嘘をついた。
ホテルに戻ると、ダンスホールではドンチャン、ドンチャンとぎやかにダンスパーテイーの真っ最中。ロングドレスや、タキシードの影がガラス扉の向こうに揺れる。
私は部屋のベッドに横になり、毛布をかぶった。涙が目尻からこぼれ落ちた。
第7日目 7月28日(日)
ワークショップ会場作り
ザビエル城・レイレ修道院見学
11:00 ミーテイング
12:00 ワークショップ会場作り
15:00 ザビエル城見学のため、ホテル出発
16:30 ザビエル城着
17:10 ザビエル城出発
17:25 レイレ修道院着
18:20 レイレ修道院出発
19:30 ホテル着
20:00 町散策
11時に、24日の記者会見が行われた部屋に全員集合。
ミーティングを行う。
明日から行われるワークショップについての打合せをする。
ワークショップ参加希望者はすぐに定員の20名を越え締め切りとなったが、バルセロナ大学スペイン舞踊教授の参加申し込みを受け付け、21名となった。
参加者のレベルはとても高いとのこと。
実施時間は、契約では、7月29日から8月1日までの4日間で10時間行うことになっているが、8月1日は、マドリッドへ向けて移動する日。
とてもワークショップをしている時間はない。
前日までの3日間にふりわけてよいかどうか、参加者に相談することを確認。
ワークショップ会場の準備については、床に大きなカーペットを敷き詰めてもらうことにする。
今日の12時に会場へ行き、準備をすませることにする。
川端が見た昨日の弓道のデモンストレーションは、とても素晴らしかったとのこと。
貴重な今日の休日はどのように過ごすか、川端の提案で、ザビエル城へタクシーで行くことになる。ビスケー湾を見に行くのは、あきらめた。

12時にパベジョン・デ・ミストスへ行き、カーペットを敷いていると、大男のサントスはじめ、屈強の舞台スタッフが、畳より少し大きな板をかついできた。何事が始まったのかと思うと、次々と床に並べていく。
先日野地の指示で城壁舞台に並べていったように、真ん中から合わせていき、ぴったりとはりあわせる。さらにもう1枚ずつその上に乗せ、動かないように釘を打つ。
そして決して土足でその上に上がることはない。
みるまに美しい白木の舞台が出来上がった。その手際のいいこと。
「彼らは、これからはいつ日本の舞踊家が来ても困らないね。すぐに立派な舞台を作りあげるよ。」と國弘は賛嘆の声をあげた。
アベルがニコニコ顔でそばにやってきて言った。
「私頼みました。カーペット、日本の踊りに良くない。この木がいいです。」
私は、パンプローナの舞台スタッフに面倒をかけては申し訳ないとつい遠慮して、部屋にあるもので間に合わせようとしたのだが、アベルは、こうしたいと思うことを相手に頓着なく、はっきりと意思表示した。
しかし、パンプローナの人は何のいやな顔もせず、さっそうと行動に移してくれた。
しかもこの木は城壁舞台の使いまわしではなく、まったく新しい木。
日本人は勝手にああでもない、こうでもないと人の気持ちを詮索する。
そこにいろいろな誤解や、すれ違いを生む。
みごとな自己表現のしかたをアベルに教えてもらった。
でも、ひとこと、こう頼んだと言うことを私に伝えてほしかった。
午後3時ザビエル城へ向けて出発。
タクシー2台と、ガリョの運転する車とに分乗する。川端とガリョの愛犬トゥラも一緒。
ワイヤーテリヤ系の中型犬。
スペインのホテルは、ペットも一緒に泊めてくれる。久しぶりの外出に大喜び。
「桂充さんと國弘さんはうちの車で。」と、川端がうながす。
1時間半ほどで、ザビエル城到着。茶色の地面にたつ、茶色の古びた石の城。
ここで生まれた人が、約半世紀前日本へはじめてキリスト教を伝えた。
そしてその人の魂に招かれるようにして、私たちが今日ここへやってきた。
敬虔な気持ちで、門をくぐる。入場料はなし。
ザビエルが祈った部屋、ながめた彫刻や絵画、書を読んだ机、うす暗がりの中に、ひっそりと息づいていた。
石壁の小さな窓から、ナバーラの空が広がる。
中世には、ナバーラ王国として近隣の大国に翻弄された小国。
がっしりとした石造りの古城に住んでいた人たちの、ストイックな生活を思う。
帰りにお志を置く。木のクロスをおみやげに求める。
ザビエル城を出発し、レイレ湖のほとりに建つレイレ修道院へ向かう。車で約1時間。
この修道院は、歴代の王の墓の上に建てられた、がっしりとした石造り。
中はひんやりとした洞窟のようになっている。
観光客が入れないようにピシッと鉄柵のしまった洞窟の奥には、聖者の像が安置され、さらにその奥に、今もなお修道僧が住むという。
俗界と隔離された洞窟の奥で、やわはだの熱き血潮にふれもせで、ひたすら祈りの日々に明け暮れる修道僧の姿がまぶたに浮かぶ。
薄暗い礼拝堂には、ステンドグラスから青い光が木洩れ日のように斜めにさしこんでいる。
外に出ると、まぶしい光がみちあふれていた。湖は、はるか下の方にひろがる。
ホテルまでは、約1時間余り。無事到着。
午後7時半は、まだ昼の明るさ。日本だったらたそがれ時なのに。
町を散策する。
ホテルから10分ほど歩いた町はずれに、テラス風の広場があり、市民の憩いの場になっている。
お年寄りも子供も、それぞれにくつろいだひと時を送っている。
丸テーブルには、飲み物と軽食。
まるで時間がとまっているかのように、人々はゆったりとすわり、話に打ち興じ、動こうとしない。
かたわらには、犬がおとなしくねそべる。
たゆとう時の流れ、時代を経た石垣の色。
きっとローマ時代からずっと人々はここに集まり、こうしてのんびりとした時をすごしたのだろう。
私と國弘は、オリーブをつまみながら、ワインで乾杯した。
夕食は、いきつけのバル、BASERRI。
はじめてテーブル席にすわり、メニューを見て注文し、ナイフとフォークで本格的な食事をする。
私には、いつも昼間立ったままカウンターで、「あれ、これ。」と並んでいる料理をゆびさし、小皿にとりわけてもらうパスタの方が、ずっとおいしく、楽しかった。
明日からは、スペインの舞踊家相手のワークショップが始まる。
第8日目 7月29日(月)
ワークショップ準備
ワークショップ第1日目
12:00 ワークショップ会場準備
13:30 バルBASERRIで食事
17:00 ワークショップ会場集合
18:00 ワークショップ開始
21:00 ワークショップ終了
21:30 バルBASERRIで夕食
今朝も、朝食の後、新聞を買いに行く。
あの気むずかしいおじさんは、私の顔を見ると、自分でいろいろな新聞を開いて、私たちに関わることが載っていないかどうか探してくれる。
相変わらず気むずかしい表情のおじさんの好意がとても嬉しく、日本から持ってきた上方舞のプロモーション・ビデオをさしだした。
おじさんは、快く受け取ってくれた。
正午に、シウダデラのワークショップ会場、パベジョン・デ・ミストスへ、稽古用ゆかた、扇を運ぶ。会場にござや、毛氈を敷く。
昼食はまた、バルBASERRI。すっかりお気に入り。
今日の夜は、川端夫妻、矢野とその仲間、松田朴伝、それにヨランダも招待して、このBASERRIの奥のレストランでお食事をする。
その予約もすませた。
しかし、英語がきちんと通じているか、少々こころもとない。
パンプローナでは、英語があまり通じない。
初めてショッピングをする。おみやげに扇と、自分用にサングラスを買う。
ワークショップ開始1時間前に、関係者は会場に集合。
講師/吉村桂充。演奏/(日替わり)衣笠一代、岡村慎太郎、清野樹盟。助手/平野悦子、アベル・ソラレス、國弘正彦。 ゆかた着付け/冨田康子。通訳/鈴木裕子。コーディネーター/川端真砂子
三々五々集まった参加者たちに、ゆかたを着せる。
新しいゆかたは、ハワイのアロハシャツのように色あざやかな花模様。若くていきの良い舞踊家たちの花畑ができあがった。
川端が、まず当初のワークショップ4日間で10時間を29,30,31の3日間にふりわけ、1日3時間、計9時間にしてもよいか、打診する。
みな快く了解、ほっとする。
参加者は、21名、みな舞踊家。
スペイン舞踊、クラッシック・バレー、コンテンポラリー・ダンス、それぞれのプロ。
バルセロナ大学の舞踊の教授は、白足袋を持参した。以前に、日本舞踊を学んだことがあるとのこと。先日の上方舞公演を見てくれた人も、10名ほど。
みな好奇心に満ちた瞳を輝かせている。
ワークショップ第1日目前半は、基礎練習。
立つ、座る、歩く、重心の移動、向きの変え方、指先と扇の扱い、たもとの扱いなど。
特に、低く落とした腰の安定に注意。
基礎練習を繰り返す間に、ひざががくがく、みな悲鳴をあげる。
